そもそも忠言は耳に逆らうもの。部下や同僚に下手に注意するとかえって反発を招くものである。かといって放っておけばストレスが溜まり、自らの生産性が落ちていく。相手を自分の土俵に引き込みながら、不快感を招かずに協力させる方法はないものか。

「我慢」している社員の生産性は落ちている

会議中に無駄話をする、1日中私用電話をする、共同プロジェクトの締め切りを守らない、決めた手順を無視するなど、同僚のはた迷惑な言動は少なくない。

だが、本人に面と向かって注意する人はほとんどいないのが現実である。なぜだろうか。臆病だからだ。嫌われたくないし、波風を立てたくないのだ。「現状を変えようとすれば、それに伴って責任が生じる。相手の受け止め方によっては人間関係に疎隔を生じさせかねない。しかも永久に」と、マサチューセッツ大学医学部で精神医学を教えるチャールス・ハマド助教授は言う。

だが、沈黙には代償がある。迷惑な言動を注意しないのは、責任逃れではないのか。人間関係をかえって悪化させているのではないか。本来は必要のないストレスを溜め込んでいるのではないか。「問題を避けたり、気難しい人に譲歩したり、反感を抑えていると、極めて高い代償を払わねばならないときがある。問題を避け続けると、通常は問題や人間関係がかえって悪化するからだ」と、マサチューセッツ州ケンブリッジ在住のコミュニケーション・コンサルタント、ホリー・ウィークスは、ハーバード・ビジネス・レビューに書いている。

数値で表すのは難しいが、企業が「沈黙」に払っているコストも実際に馬鹿にならない。現状に不満を持ち、ストレスの溜まった社員の生産性は落ちるし、よく休み、さっさと辞めてしまったりする。

我々が肝に銘じなければならないのは、「問題に直面することと相手と対決することは同じではない」ということだ。正しい技を身につければ、自信と余裕をもって難しい相手や状況や会話に対処できるようになる。そして、争いに発展しかねない事態を、コミュニケーション・コンサルタントのバーバラ・パクター言うところの「建設的な対立」に転換できる。