「昇給や出世の内示は、みなに喜ばれるもの。ですから、これは社長ご自身でおやりいただくのがよいと思います。

一方、減給や左遷は、みなに恨まれるもの。こちらの決定や通告は私におまかせくださるのはいかがでしょう」

みなさんが社長という立場にいたとして、ある日、人事部長からこんな提案を受けたとしよう。さて、これをどう判断されるだろうか。

中国古代の思想家・韓非が、社長直属のコンサルタントだったとしたなら、おそらくこうアドバイスするに違いない。

「気をつけなさい。この人事担当者は、あなたの追い落としを狙っています」

一見、社長思いの提案とも受け取れる内容なのに、なぜこんな解釈になってしまうのか。ここには権力の源泉の問題がかかわってくる。

権力とは、「武力」「金」「人事権」などを握って、他人を思うままに操る力を手に入れることだった。

これを逆から見れば、3つのうち、部下や家臣が1つでも手に入れたなら、立場を逆転させ、権力奪取や下剋上を成功させられる可能性があることを意味している。『韓非子』には、こんな言葉がある。

・もしトップが賞罰の権限を自分で行使せず、部下に任せてしまったら、どうなるか。国中の者がその部下を恐れてトップを軽視し、はては、部下になびいてトップを見限るであろう。賞罰の権限を手放せば、こういう結果にならざるを得ないのだ。虎が犬を負かすのは、爪や牙をもっているからである。その爪や牙を虎からとりあげて犬に与えたら、どうなるか。逆に虎のほうが犬に負かされてしまう。(二柄篇)

確かに、爪と牙を失った虎を、犬が恐れる理由などどこにもない。権力は、その源泉を握った者へと基本的に移り、人心もそちらへ靡いてしまうのが、当然の姿なのだ。