レーダー照射問題などで日韓関係が悪化する中、「大人の対応」で譲歩し続ける日本。余裕ある態度を取るのはなぜか。歴史著述家の上永哲矢氏は「今回の日韓問題に『武士の情け』を見た」という――。
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韓国に「大人の対応」で譲歩し続ける日本

レーダー照射問題などで泥沼化の様相を呈している日韓関係。韓国側は非を認めないどころか、日本側の「低空・威嚇(いかく)飛行が問題」と主張し、激しく非難している。

日本の防衛省が協議打ち切りを表明するも、韓国国防部は「また日本の哨戒機が、韓国艦艇に接近した」と発表し、新たな火種を投入してきた。

レーダーを照射した「加害者」の韓国が、「被害者」であるはずの日本に謝罪まで求めている始末。いつの間にやら韓国が攻撃側になり、日本が守勢にまわっている。

これまで、日韓関係にはさまざまな問題があったが、日本は「大人の対応」で譲歩しつづけ、後手にまわることが多かった。

今回も日本は映像を証拠に韓国の非を訴えるも、激しく非難したり、謝罪を要求したりはせず、あくまで正攻法で「再発防止」を求めていた。その余裕ある態度が、韓国側に反論する余裕を与えてしまったように思える。

この問題で連想したのは「宋襄之仁(そうじょうのじん)」という言葉。不必要な情けや哀れみをかけたために、かえってひどい目に遭うことだ。

「宋襄の仁」と「武士の情け」の共通点

これは古代中国、春秋時代に宋の襄公(じょうこう)が、敵国の楚(そ)と戦った泓水(おうすい)の戦いから来ている。

紀元前638年、楚軍は宋を攻めようと泓水(川)を渡りはじめた。宋軍も川のほとりまで迎撃に出た。襄公の部下・目夷(めい)は「楚軍が川を渡りきる前に攻撃しましょう」と進言する。

だが、襄公は「そんな卑怯なことはできん。敵の弱みに付け込むのは君子ではない」と情け(仁愛)を見せ、敵が川を渡りきってから戦闘に入る。結果、宋軍は大敗し、襄公自身も矢を受け、その傷がもとで2年後に世を去った。

この故事が『春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)』に記される「宋襄之仁」の由来だ。敵に対する情けを否定的な意味として伝えるもの。大陸的価値観では、襄公は無能で愚かな人物とされている。

現代では「ビジネスには機略も必要、宋襄之仁だけではいけません」といった形で使われる。つまり反面教師にせよ、という教えでもある。

同じ中国の兵法書『孫子』で「兵は拙速を尊ぶ」とか「兵は詭道なり(だましあい)」という言葉がよく紹介される。とにかく勝てばいい、勝つために手段を選ばないのが戦いのセオリーである。

だが、日本ではどうだろう? むろん個人差はあるだろうが、襄公のこうした行為に対し「武士の情け」と見る人も一定数いるのではないだろうか。