「JIC騒動」は日本が繰り返してきた失敗である

わが国は、専門人材の活かし方を真剣に考えるべき時を迎えている。この問題は、政府、民間企業に共通する。9月に発足した官民ファンドの産業革新投資機構(JIC)が事実上の業務停止状態に陥ったことを見ていると、それが明らかになっている。

経済のグローバル化が進む中で、経営戦略の立案や投資などのスペシャリストを招聘するためには、相応の報酬を支払わなければならない。それは当然のことだ。その考えをいつまでも拒否していると、わが国は優秀な人材を引き付け、競争力を高めることが難しくなる。重要なポイントは、専門家がどのような成果を成し遂げたかを基にして、どれだけの報酬が支払われるべきか、当事者が納得する客観的な評価の基準を設定することだ。

産業革新投資機構で社長らが相次いで辞任したことについて、閣議後に記者会見する世耕弘成経済産業相(写真=時事通信フォト)

そうした制度がないままに専門家の登用が進むと、JICのように「報酬が高すぎる」という旧来の発想に基づいた批判が出やすい。JICのケースに関しては、政府が高度プロフェッショナル人材の活躍を重視してきただけに残念だ。同じことを繰り返さないためにも、専門家が活躍しやすく、成果に基づいた客観的な評価制度が確立されることを期待したい。

「和を以て貴しとなす」はもう通用しない

プロ経営者の更迭やJIC役員の辞任などを巡る議論では、経営者の高額報酬についての批判が目立つ。

しかし、その認識は誤っている。なぜなら、わが国経済の成長力を高めるために、専門家の知見を活かして、イノベーション(新しい製品を生み出すことなど)を発揮していかなければならないからだ。

長い間、わが国では“和を以て貴しとなす”の発想が重視されてきた。具体的には、年功序列などの考えに基づいて、組織のトップは組織内部から選抜されることが続いてきた。それは、組織のトップと、他の組織構成員の格差を少なくしたほうが全体の調和が保ちやすいという考え方だ。

1950年代半ばから1970年代前半の“高度成長期”を経て、1980年代後半の資産バブルの絶頂期までは、この発想が大きな問題に直面することはなかったといえる。経済全体で企業収益と給与所得が右肩上がりの展開にあったため、専門家よりもゼネラリストの登用を重視するわが国の組織運営、人事評価制度への注目が集まる時期もあった。