体罰は学校教育法で禁止されている。それにも関わらず、体罰をめぐる問題は後を絶たない。民間シンクタンクから熊本市教育長となった遠藤洋路氏は「体罰は“昭和の学校”の弊害だ。学校現場には『許してもらえたら体罰ではない』という甘い姿勢がある。教員には体罰に頼らない指導力とプライドを持ってほしい」と指摘する――。

文科省から民間へ、そして教育長に

2010年に文部科学省を退職後、友人と政策シンクタンク「青山社中」を立ち上げ、議員や政党向けの政策づくりを仕事としていた。会社も7年目となった昨年始め、旧知である大西一史熊本市長から教育長就任の打診をいただいた。震災で傷付いた熊本の姿に心を痛めていただけに、私の経験が少しでも役に立つなら、との想いでお受けした。

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熊本での教育の仕事は、これで3度目となる。最初は、文科省時代の熊本県教育委員会への出向。次に、青山社中時代に携わった熊本市の教育大綱(市長が定める教育の基本方針)策定のアドバイザー。そして今回である。ただ、今回はこれまでとは違い、期間限定でも非常勤でもなく、熊本に骨を埋める覚悟で来ている。

「昭和の学校」の功罪

私がこれまでの経験から培った熊本の学校に対する印象は、一言で言えば「昭和」である。良くも悪くも、古い。学校環境、生徒指導、部活動、教員の意識など、「昭和の学校」のままなのだ。

多くの教員は真面目で熱心で、昭和の熱血教師を彷彿させる。学校生活は全体として規律正しく、目立って荒れている学校は少ない。九州大会や全国大会で好成績を挙げている部活動も多い。

こうした「昭和の学校」は、その弊害も大きい。厳しい校則、部活動の過熱、教員の多忙といった全国的に指摘される問題に加えて、高校受験の過熱が著しいと感じる。この中学で何番までなら○○高、何番までなら□□高、といったように、偏差値で輪切りをする受験指導がまかり通っている。

その結果、熊本の学校は、他県からの転入者から厳しい評価を受けることが多い。保護者へのアンケートでも、教育委員会や学校への苦情でも、転入者から「いまだにこんなことが行われているのかと驚いた」という声をよく聞く。いつの間にか時代から取り残されているのだ。