なぜ価値は使用と伝達の間で生成するのか

話は抽象的になったが、述べたいことは単純だ。企業が消費者に向けて行うマーケティングとは、この誤解の連鎖のようなコミュニケーションに擬することができるのではないかというのが、ここでの考え方である。その由縁を明らかにしよう。

商品流通に関わるマーケティングや営業活動が、水道管か空気抜きのダクトにたとえられることが少なからずある。著名な経済学者が、インターネットが流行りだした頃、「これから、ネットを通じての取引が増え、それにより取引コストが低下する。その結果、流通の中抜きが起こってくる」と新聞紙上で語っていた。その事実の是非はともかく、その経済学者の考えのベースには、「流通は、水道管のようなプロセスだ」という理解が潜んでいるということである。水道管であれば、短ければ短いほどよいし、そもそもなければもっとよいということになる。媒介のための有効な技術が出てくると、その管は不要になる。

図1:伝統的コミュニケーションモデル<br>
図2:新しいコミュニケーションモデル

図1:伝統的コミュニケーションモデル
図2:新しいコミュニケーションモデル

その経済学者は新古典派の学者だったが、研究の系譜をたどれば、マルクス経済学だってそういう立場をとりそうだ。かれらの理解は、商品の価値は工場や研究所において生まれて、消費者の手元で花開くものだというものである。図に描くと、図1のようになる。

これは、研究所や工場でつくられた価値が、何か水道管かダクトを伝わって伝達されて、使用者の手元に届くというモデルである。マルクスは、この議論を使用価値概念のところで行っている。価値的側面は特定の体制や歴史に依存するが、使用価値的側面は、いつどこで誰にとっても共通した普遍的・超歴史的・歴史貫通的なもの、つまり生産過程から生み出される客観的な製品属性に基づいているとする。

ここで注意したいことは、この「価値→伝達→使用」のモデルは、価値を意図に、そして使用を受け手に替えれば、先ほど述べたコミュニケーションの伝統的なモデル(共通コードが事前に存在するというモデル)と同じである。コミュニケーションの伝統モデルでは、意図(価値)は伝達を通じて相手(使用)にそのまま伝わるというものであった。

だが、先ほど述べたお父さんとお母さんの対話を、このモデルで理解しようとすると無理がある。図1と対照させて図式化すれば、われわれがここで提唱している関係は、図2のように表すことができる。

この図が示しているのは、価値は、使用と伝達の狭間で生成するというものである。先ほどの、お父さんとお母さんの天気についての会話を思い出せば、こうした図式の意味はよくわかるだろう。コミュニケーションのプロセスにおいて、何か当初の意図にはなかった新しい現実(価値)が創発する。私はこれこそが、私たちが毎日見ているマーケティングのモデルになりうるものだと思う。そして、このモデルこそ、流通・マーケティングは、たんに価値の水道管ではなく、価値を創発する存在であることを担保するのである。

(平良 徹=図版作成)