厳然たる“格差”がある直接雇用と派遣社員

「ワーキングプア」――。国の統計はないが、こうした貧困の実態を裏付ける数字がある。都留文科大学の後藤道夫教授(現代社会論)は、総務省の就業構造基本調査などを基に「ワーキングプアの実態」を算出した。後藤教授は貧困世帯を2002年時点で年収が1人世帯で190万円、2人世帯で300万円、4人世帯で463万円以下などと定義。その結果、02年の時点で約656万世帯、実に勤労世帯のうち18.7%がワーキングプア状態にあるとした。

バブル崩壊後の不況期、企業は人件費を減らすため派遣や契約、請負といった非正社員への切り替えを進めた。それを後押ししたのが、「新自由主義」という考え方だ。市場原理主義を推し進め、公共サービスの縮小や公営企業の民営化、規制緩和が、経済の効率的な発展につながるとされた。例えば、1986年に施行された労働者派遣法は段階的に対象が広げられ、99年に対象業務が原則自由化、04年には禁じられていた製造業への派遣も解禁となった。派遣労働者は86年度の14万人から、05年度には255万人に急増した。“労働ダンピング”に晒された派遣労働者の給料水準は年々低下し、雇用形態の多様化が「ワーキングプア」という層を生み出した。もっともわかりやすい“格差”の構図である。

最初の話とまったく違う。手取り20万円を超えた月はなかった<br><strong>和田義光 43歳</strong><br>新潟県出身。高校卒業後、地元でトラックの運転手を勤める。その後、友人らと土建会社を立ち上げるが失敗。3年前に派遣社員として日野市の寮に入る。現在、求職中。不定期の仕事で食いつなぎながら、組合活動を続けている。<br>※写真と本文は無関係です。
最初の話とまったく違う。手取り20万円を超えた月はなかった
和田義光 43歳
新潟県出身。高校卒業後、地元でトラックの運転手を勤める。その後、友人らと土建会社を立ち上げるが失敗。3年前に派遣社員として日野市の寮に入る。現在、求職中。不定期の仕事で食いつなぎながら、組合活動を続けている。
※写真と本文は無関係です。

和田義光さん(43歳)が業務請負大手の日研総業(本社・東京都)の東京・日野市にある“寮”に入ったのは05年5月。07年3月に高校を卒業した一人娘を実家のある新潟に残しての上京だった。

高校を出て地元の運送会社などでトラックの運転手を勤めていた。荷物は引っ越しの家財が中心。当時の年収は400万円近くあった。が、90年代後半から競合の業者が増えて仕事が減り、給与がじりじりと減らされた。体力的な問題もあり、会社を辞め、仲間と土建会社を立ち上げたが失敗。仕方なく人口6000人ほどの地元に「ひきこもった」。

2年ほど仕事をしない日々が続き、何とかしなければと焦っていたところで、地元で日研総業の会社説明会を見つけた。説明会では担当者から、「東京で自動車工場の仕事がある。待遇は派遣社員だが、手取りは20万円以下にはならない」と説明され、上京を決めた。

派遣先の日野自動車での仕事は、鉄のリングを、トラックのギアに加工する作業だった。リングは最も重いもので60キログラムほど。夏は40度近い暑さで油まみれになりながら働いた。1日の労働時間は8時間だが、ノルマが未達だと残業があった。1週間おきに日勤と夜勤が入れ替わる不規則な仕事。契約は1カ月ごとの更新で先の保障はない。