「申し訳ありません。できる社長とはいえませんでした」

給料を下げることで、何がいちばん変わったかというと、社員のモチベーションだった。リストラはしないつもりだった。その代わり、一部の社員を休職扱いにしただけでも、全体のモチベーションは落ちた。抜けてほしくない優秀な社員も抜けていった。

東京地裁に民事再生法適用を申請したのが、11年3月30日。倒産の情報は、ツイッターですぐに広がった。帝国データバンクの倒産速報に記事が出たのがきっかけのようだった。フォロワーが一気に1000人も増えていた。会社へ問い合わせの電話もかかってきていた。

「期待してフォローしていただいた方、申し訳ありません。できる社長とはいえませんでした」

31日朝の私のツイートだ。先にお世話になった取引先に挨拶にいくつもりでいたのが、順番が逆になってしまった。

負債額は40億円。それでも銀行との返済計画の見直し交渉より、民事再生が決まったときのほうが、気持ちはずっと楽だった。

それまでの2年、銀行へは金利を含め年2億から2億5000万円を返していた。金利分だけで年1億2000万だ。これでは毎年3億円くらい利益を上げても、永久に返済し続けなければならないのではないかという感覚だった。

民事再生法の適用により、経営権が他に移るということも事実だが、もし可能だとしても私が社長をやり続けるのはどうかと思う。社長としての自分が機能していなかったことを、いまや認めざるをえないからだ。

どんなに売り上げが上がったときでも、私たちの会社の利益は常に1億くらいにしかならなかった。

コンサルティングがメーンであれば、ソフトウエア会社などと同じで、利益率も高く、経費といえばほとんどが人件費の事業だ。給料や時間をどう管理するかによって、利益は大きくもなるし、小さくもなる。いま考えれば、利益を出すという意味での事業の本質を、私はまったく掴んでいなかった。

いつも頭にあったのは、どうすれば社員がやる気を出して働いてくれるか、どうすれば彼らのモチベーションを上げられるかということだった。ただ、だからといって常に彼らとの一体感を感じていたかというと、それも違う。

どこかに、漫画『ONE PIECE』のように、利害を超えて情熱を燃やせる世界があってもいいと思っていた。あの時代のリクルートに自分はずっと憧れていたのだと思う。だが、リクルートにはなれなかった。いや、リクルートの中にさえも、そんな世界など、ほんとうはなかったのかもしれない。

(大内祐子(プレジデント編集部)=構成 佐粧俊之=撮影)