福島駅近くに設置された防護服姿の子供像「サン・チャイルド」が、市民からの反対で撤去された。一方で、この作品は各地を巡回しており、大阪では恒久展示されている。宗教社会学者の岡本亮輔氏は、東京での銅像の設置・撤去の歴史を振り返りながら「公共空間に置かれた像から読み込まれる意味は、時代や鑑賞者によって異なっていく。撤去は早すぎたのではないか」と指摘する――。
ヤノベケンジ作「サン・チャイルド」(筆者撮影)

施設利用者の約7割が反対

今年9月、福島駅近くに設置されていたモニュメント「サン・チャイルド」が撤去された。

サン・チャイルドは高さ6.2メートルの強化プラスチック製の人形で、アーティストのヤノベケンジ氏によって制作された。鮮やかな黄色の防護服に身を包んだ少年がヘルメットを外して空を見上げ、右手には太陽のシンボルを持っている。そして、防護服の胸の線量計は000を示している。

この作品は、福島第一原発事故の風化を防ぐために福島市が教育文化施設「こむこむ」に設置したものだが、風評被害の懸念やつらい記憶を思い出させるといった市民からの意見があり、撤去されることとなった。撤去は事前に行われたアンケート調査に基づいて決定したが、施設利用者の70%弱が設置反対であったという。市長は謝罪して給与減額を表明した。

こうした公共空間における像やモニュメントの設置を考える際、東京には参考になる例が実に多い。偉人や功労者の顕彰のために像が設置されるのは、銅や石といった耐久性のある材質でその人物を表現し、彼らの記憶を社会的に共有してつなぎとめるためだ。公共空間の像は、その地域の集合的記憶を否応なしに表現してしまう。さらに、その像は首都東京に置かれることで一層の輝きを放つ。その記憶はローカルなものではなく、国全体のものだというわけだ。

実際、明治期以降、政治家・軍人・学者をはじめとして、東京には実に多くの銅像やモニュメントが設置され、撤去されてきた。だが、他ならぬ首都に置かれるからこそ、その公共性は厳しく検証され、結果として一部は行方不明になり、一部は復活したのである。

上野の西郷像はすったもんだの末に設置

多くの異論がありつつも最終的に定着したのが、今や東京の代名詞ともいえる上野公園の西郷隆盛像だ。西郷は明治政府にとって厄介な存在だ。明治維新の立役者であり、江戸城無血開城を導き、江戸を兵火から救った人物である。岩倉使節団として政府首脳のほとんどが洋行した際には、留守政府の中枢を担った。このままであれば、間違いなく明治の元勲となっただろう。

しかし、朝鮮半島をめぐる意見対立で下野する。そして1877年、不平士族たちに担がれる形で政府に反旗をひるがえした。西南戦争だ。維新の英雄が賊軍の頭領になってしまったのである。