――「若手のハングリー精神」の話に戻りますけど、80年に入社してずっとキリン一筋の石井さんは転職を考えたりしたことはないんですか?

「私はビールと設備設計が好きなので、この仕事が嫌だと思ったことはありません。会社を辞めるぐらいの気概があれば、いまの仕事でやるべきことはたくさんあると思いますよ。

ただ、20代後半のときに一度だけ『辞めてやる』と考えたことはあります。当時、私はビール醸造の専門家として誰にも負けない自信を持っていました。2歳ほど年上の上司はパッケージの専門家なのに醸造のことにも口を出してきた。当たり前のことですけどね(笑)。で、若い2人だから意地がぶつかり合ってしまって、『絶対負けない、この仕事を渡すぐらいなら辞めてやる』と思い込んだのです」

――純粋に仕事上の意見相違でぶつかり合えるっていいなあと思います。いまの若手にそんなハングリー精神を根づかせるために、どんな工夫をされていますか。

「部長や係長を通じて、権限委譲を呼びかけています。自分で決めて実行しなくてはいけない立場に置かれないと人は成長しません。自分で悩み苦しんで失敗を重ねて、伸びていってほしい。

私が若い頃は周囲に40代、50代のベテランがたくさんいて、『20代の若造は黙って動け』と言われて、自分で決められる範囲がすごく狭かった。早く年をとりたいなあといつも思っていましたよ。いま、工場の現場は30代の社員が中心です。自動化も進み、人員数も半減しているため、一人の守備範囲も劇的に広がっています。機械を普通に運転するだけならば平均点の人にでも可能でしょう。しかし、トラブルを上手に処理したり、もっとおいしいビールを安くつくるための改善提案を出すのは高いレベルの人でなければ不可能です。

教えることはとても大事ですし、実際にキリンビールにはテクノアカデミーという技術伝承の教育機関があります。でも、教えすぎの弊害もある。受け身の人間をつくってしまうことです。だからこそ私は、自分で考えて素早く実行できる人も育てたいのです」

教えるのではなく、試行錯誤して自信を持つ機会を与えたいと繰り返していた石井氏。穏やかだがゆるぎない眼差しが忘れられない。現在、キリンビールはサントリーと経営統合に向けた交渉を進めている。その成果は未知数だが、石井氏は「若手が活躍する場が増えた」と喜んでいるに違いない。

※すべて雑誌掲載当時

(相澤 正=撮影)