ノウハウなど存在せず、整理・検索とは次元が違う

この成功をもたらしたイギリスの情報機関組織としては、SIS(対外情報機関、俗称MI6)、国内へのスパイ浸透を防ぐMI5、国防省の情報部、主に通信傍受を行う政府通信本部の4つがある。これらの機関から情報合同委員会におのおののインテリジェンスが上がっていく。そして、閣僚と情報機関トップで構成される情報合同委員会に直属する専門の評価スタッフが、膨大な情報の海からこれはという情報を選り分けていく。省壁といわれる官僚組織の縦割りの弊を突破し、時に情報源にまで遡り、裏を取って評価報告をまとめていく。日本の内閣にもこうした組織は形の上でこそあるが、評価スタッフも、人材をスカウトする組織も、この縦割りを突破する仕組みもない。

こうしたインテリジェンス活動が対象とする分野は「シークレット」と「ミステリー」という2つに絞られる。シークレットとは「今何が起きているのか」、ミステリーとは「何が起ころうとしているのか」を見極めることである。

この2つは混同されがちなので、注意が必要だ。情報士官の未来予測は、現在進行形の場合は「勘」であることが多い。しかし、何らかの合理的な根拠が示されなければ、ジプシーの水晶占いになってしまう。ターゲットの「意図」と「能力」の詳細な分析が必要となろう。

志のある情報士官がじっと眺めていると、“石ころ”のいくつかは違った表情を見せ始める
志のある情報士官がじっと眺めていると、“石ころ”のいくつかは違った表情を見せ始める

こうしたインテリジェンスのセンスを磨くお手軽なノウハウなど存在しない。ましてや情報の「整理」や「検索」とは次元が違う。

未来の予測に挑む人というのは、時に神に召された人としか言いようがない何かを持ち合わせている。研ぎ澄まされた感性の持ち主だ。資産運用のプロやギャンブラーがやや似ているかもしれない。どんな人が成果をあげるかは、やらせてみなければわからない。まず10人くらいに実際に運用させ、“打率”の低い順に切っていく。主力打者が突然燃え尽きることもあるから、若手の補充も行う。情報士官も、同様の手順で素質のある人を残していくしか方法がない。

インテリジェンスのプロに必要なのは信頼である。佐藤“ラスプーチン”(優氏、起訴休職外務事務官)との共著『インテリジェンス 武器なき戦争』(幻冬舎)を例に取れば、僕が言えない部分をラスプーチンが、ラスプーチンの言えない部分を僕が発言することで、互いに抱えている膨大な情報源との約束をすべて守り抜いている。情報源の信頼はそれほど重いものだ。同じ内容の本を個別に書いて出すのは不可能である。

もう1つは、厳しく冷徹な等価交換というルール。一方的に「教えてほしい」と聞きにくる人が、商社マンのようなプロにも時々いる。そういう人に限って、インテリジェンスが慈善事業ではないことに気付いていない。会っても時間の無駄だから「次があるので」と失礼する。

僕はかつてあるイギリス人に頼まれ、英国産ウイスキーの関税引き下げに一役買ったことがある。その後、僕が急にワシントンに赴任し、情報の魔界で途方に暮れていたとき、突然、ブリティッシュ訛りの人物から電話があった。その人物はまさに情報の金鉱脈だった。誰から頼まれたとも言わなかったが、僕は「ああ、そうか」と膝を打った。人間関係は永続する。その場で商いが完結しなくとも、借りは返してくれるものだ。情報の世界はまことに奥深い。

(西川修一=構成 永井 浩=撮影)