そうした影響をマクロ経済の観点から憂慮しているのが第一生命経済研究所の永濱利廣主席エコノミストだ。ゆとり教育で成績が落ちたと指摘されるOECD(経済協力開発機構)の「生徒の学習到達度調査(PISA)」と一人当たりGDP(国内総生産)の関係を分析した結果、永濱氏は「両者の間には明らかに相関関係がある」と指摘する。

永濱氏が分析に用いた06年のPISAにおける日本の「科学的リテラシー」の得点は00年時点よりも19点ダウン。「読解力」では24点、また「数学的リテラシー」だと34点も下がっている。そうした学力の低下は、今後の日本の経済力の衰退を暗示する。

そして永濱氏は「日本経済の復活には、技術的なブレークスルーが求められている。それには国全体の学力をアップしないといけない。時間がかかるだけに早く対応したほうがいい」と警鐘を鳴らす。その点において図1に見るように、日本の公財政教育支出の対GDP比がOECD加盟28カ国のなかで最低であることは気がかりだ。

実際に大学の教育現場からも将来を危惧する声があがっている。自動車の駆動装置からカーナビ、携帯電話まであらゆるハイテク製品で活用されるようになった組み込みシステム。その出来不出来で性能が大きく変わってくる。システムの理論やプログラムの技術を教えている私大工学部の准教授は次のように嘆く。

「教師にサポートされることが当然と思っているのか、受け身の姿勢が強い。実習も教官が具体的に指示しないと準備すらしない。読解力も極端に弱く、『三角形の面積を求めるプログラムをつくれ』という試験を出したら、『どういうことかわからない』といってきた学生がいる。読めないのか、読む気がないのか、理解できない。『あまりにも稚拙だ』というと、『稚拙って何ですか』と聞き返してきた」

ゆとり教育が及ぼした学習姿勢に対する弊害として、よく指摘されているのがこのコメントにもある「受動的になった」ということだ。練習問題の解答の正否を自分で検証しようとはせず、安易に教師に正解を求めてしまう。知的欲求の低下も著しく、事典や辞書を自分で開いたりはせず、インターネットで自分の欲しい情報にアクセスすることで済ませてしまう。労力を惜しみ、効率性のみ追求する傾向も強くなっているようなのだ。

「本来、教育には学力形成と人間・人格形成という2つの機能がある。しかし、ゆとり教育の導入と『いま楽しければいい』という社会的な風潮の高まりによって、何かに一生懸命取り組んで自分を高めていこうとする克己心や忍耐力などの低下に拍車がかかった」と、教育現場の問題に詳しい国際基督教大学大学院教育学研究科の藤田英典教授は語る。

(宇佐見利明=撮影)