言葉の壁にも苦労したが、「女性特有」の役割を求められて戸惑うことも多かったというマルタさん。イタリア育ちの彼女の目に、日本の男職場はどう映ったのだろうか?

なぜ日本で働きたいと思ったのか

三菱電機のエンジニアであるマルミローリ・マルタさんは、イタリアのコッレッジョという街の出身だ。城壁と教会のある歴史ある街――その10人ほどのクラスの小学校に通っていた頃から、彼女は科学が大好きな少女だった。

マルミローリ・マルタ●1971年生まれ。ボローニャ大学を卒業後、日本に留学。97年に入社、電力自由化関連システムの研究開発に携わる。2011年、スマートグリッド技術および事業開発に従事。18年より現職。

「機械仕掛けの人形やおもちゃを見ると、中身がどうなっているのか知りたくなっちゃう。お気に入りの編み機を分解して、元に戻せなくなったときは泣きました」

当時を振り返りながら、彼女は懐かしそうに目を細めた。

日本企業への就職を決めたのは、1996年のこと。ボローニャ大学で原子力工学や超電導を専攻していたが、反原発の世論が高まっていたイタリアには、自身の専門を活かせる企業がほとんどなく、奨学金で留学した日本での就職を視野に入れた。三菱電機の採用担当者に「好きなことを研究していい」と言われたことが決め手になったという。初来日は18歳のとき。高校の卒業旅行で京都や東北を巡ったときから「日本で働いてみたい」という気持ちは抱いていた。

「ただ、当時の外国人エンジニアは契約社員という扱い。今では外国人の正社員も当たり前にいますが、あの頃は『外国人はすぐに辞めるから』といったポリシーを会社側から感じましたね」

1年目は終業後、週3回、日本語学校に通い、土曜日は自宅近くにあった書道教室で子どもたちに交じって字を習った。以来、書道を趣味にし続けている彼女は、「それが地域の人たちとの大切な交流の場にもなった」と語る。