毎年の同窓会の話題が少しずつ変化してきた。数年前まで子どもの教育一色だったのに、50代が見えてきた昨今、「母親が弱ってきちゃって……」といった話題が交ざるようになってきたのだ。そんなとき私は、割合得意になって話す。なにしろ実父と義父が仲良く同時期に要介護状態になって15年。どちらとも同居していないが、さすがにこれだけ長いと耳年増になる。

「『特養』と『老健』の違いはね……」などと初心者の疑問に答えるのが私の役どころなのだ。

本書は、こんな私の「介護わかった気分」を粉砕した衝撃的な一冊だ。第一部では、男の介護体験記として4つのエピソードが語られる。定年を前に妻がアルツハイマー病を発症した夫。姉たちとせめぎ合いながら末期癌の父を介護する末っ子長男。まだ30代だった妻が交通事故で寝たきりになってしまった男性。なかでもショッキングなのは、赴任先のオランダで夫人が卵巣癌を患ったケースである。慣れない異国での治療、子どもたちとの緊張関係。最後に夫婦が選択したのは現地で合法化されている「尊厳死」だった。あらかじめ決めた「その日」。通常の約6倍のモルヒネを投与し、妻に別れを告げた夫の気持ちはいかばかりだったか。

第二部では、介護者やヘルパーといった専門職と被介護者、双方の視点から介護の現実が語られる。ここでは神経系の難病ALSを発病した西村さんの手記が印象的だ。「美味しそうな牡蠣フライが運ばれてきました。私はせいいっぱい、大きく口を開けて……」。ところが!

牡蠣フライは心優しい看護師さんの手でみるみるうちに粉々にされ、ぺースト状になって口に運ばれたのである。介護が「介護される人」の視点で語られることはまだ少ない。いくら安全のためとはいえ、大好物を目の前でぐちゃぐちゃにされたら……。父の介護に長く立ち会いながら、そのようなことを考えてもみなかった自分に気づかされた。

著者自身が白血病の夫人を介護した体験者であり、その視線は一貫して温かく、それでいて冷静だ。大きな悲しみの後、そこから遠ざかるのではなく、積極的に向き合い、現在はホスピスの理事長をしている。エピソードの多くは介護の物語であると同時に看取りの物語でもある。

私は、介護においてお金が重要な要素だと考えており、その気持ちは変わらないが、お金と同じくらい「出会い」が大切だと、本書を読んで感じた。先の見えない毎日。本当に支えになってくれる人と出会えれば幸運だ。一方で、悪気はなくとも驚くほど無神経な行動をとる人もいる。組織や職務など環境に自分を埋め込み、個人を見つめることを怠る「その他大勢」になったとき、人は意識せず残酷なことができるのかもしれない。

「人びと」は残酷だが、「人」はやさしい。

引用された詩人タゴールの言葉が後からボディブローのように効いてくる。