月収は高校生のころ、多いときで100万円くらい

【田原】ホームページはつくれたの?

【久保田】最初はできませんでした。僕が制作の受託をしていたのが2010年から13年ごろ。当時、クラウドソーシングのサービスが立ち上がって、フリーランスのエンジニアに仕事を依頼できる環境が整いつつありました。そういったサービスを使って、東京や大阪のデザイナーやエンジニアの人にお願いしていました。

FOWD代表取締役社長 久保田涼矢氏

【田原】いくらで受託していたの?

【久保田】50万円くらいです。いまの相場はだいたい300万~500万円、高いと1000万円近くなるものもあります。当時はそもそも相場もないような状況だったので、いま考えるともう少しもらってもよかったかもしれません。もらったお金のうち、大半はエンジニアの取り分で、自分の儲けは1件で多くて30万円くらい。月収は高校生のころ、多いときで100万円くらいありました。

【田原】ホームページ制作で元手ができた。そのお金で何をしましたか。

【久保田】当初の予定通り、1人暮らしを始めました。家から1時間半以上かかる私立高校に入って、学校の横のマンションに部屋を借りて。

【田原】ん? どうして私立に? 私立のほうが学費は高いでしょう。

【久保田】最初は、公立の学校を考えていたのですが、両親が勧めるものすべてが嫌になってしまって。

【田原】どういうこと?

【久保田】母親が離婚して再婚したことを、当時の僕は失敗だととらえていました。その事実を知るまで僕にとって親の言うことは絶対だったのですが、親も選択を間違えたのだとわかると、急に親の言うことが信じられなくなってしまって。両親が勧める高校や生き方は、逆によくないんじゃないかと思って、ほかの高校に行こうと決めました。

【田原】高校を卒業した後、大学には進学しなかった。どうして?

【久保田】大学はお金がかかります。高校のころと同じように働いて学費を稼ぐことは可能だったかもしれません。ただ、最初は生きるために働いていたはずなのに、やっていくうちに仕事そのものが楽しくなってきちゃったんですよね。どうせ仕事するなら思い切りやりたいなと思って、上京して働くことにしました。