ホンダジェットの開発は個人中心だった

対して、ホンダジェットの開発は個人中心に進められた。1986年にホンダは社員5人を米国に派遣して飛行機に関する設計や技術を学ばせた。その中の一人がホンダエアクラフトカンパニーの社長である藤野道格氏だった。

藤野氏は、手作業での飛行機づくりからはじめ、ロッキード(当時)のエンジニアから航空機開発に関する技術、そのためのマネジメントも学んだ。飛行機を作りたいという思い(アニマルスピリット)に突き動かされた藤野氏が、専門家から必要なノウハウを吸収し、それを基に航空機の開発が進められた。

新しい商品などを開発する際、それを構成する要素や技術が社内にあるとは限らない。最終製品を作る場合には、パーツとパーツのすり合わせなど、繊細なバランス感覚も重要だ。そうした要素がない場合、社外の専門家から吸収したほうが効率的なこともある。MRJも自前主義へのこだわりを見直し、外部から専門家を招き開発を加速しようとしている。

ホンダジェットのインテリア(画像提供=ホンダ)

ソウルや北京にノンストップで移動できる

6月6日、ホンダジェットの国内受注が開始された。ホンダは観光目的などで日本を訪れる海外富裕層や、国内ビジネスでの移動にホンダジェットへの需要があると考えている。国内にホンダジェットが発着できる空港は84ある。東京からソウルや北京へもノンストップで移動できる。サービスの内容によっては、発展の可能性が見込まれる分野だ。

それに加え、国内企業が生み出した飛行機が、わが国の空を飛び回るインパクトも大きい。ホンダジェットが飛び回れば、「ホンダはすごい」と、憧憬(しょうけい)を抱く人が増えるだろう。それは、企業の発展に欠かせない要素だ。