母は41歳の初産で、私はひとりっ子だった

――お母様は、「良き母」のテンプレートに当てはまる方でしたか?

テンプレート以上の、完璧な母親でしたね。完璧な母親をしているうちに命を終えてしまいました。母が64歳、私が24歳でした。「母親」を終えた、その先の話ができなかったのは非常に残念ですが、逆にいうと彼女は完璧な母を全うしてくれたのです。

ユーモアもありましたし、私ができないことがあれば一生懸命教えてくれました。母は41歳の初産で、私はひとりっ子でした。学校に友達はいっぱいましたが、みんな学校から少し離れた地区から通ってくる小学校に通っていたので、近所に友達がいるような状況でもなかったんです。

母は1年に1回、観光バスを借り切って、小学校の友達を連れてスキーに行くんですよ。

2台、3台借りて、添乗員つけて、ツアーを組んで、母が指揮を執っていました。冬のスキーだけでなく、夏も1回。冬は菅平、夏は益子とか、とにかく年に2回。日帰りだったり、1泊だったり。

あなたがひとりっ子で寂しいだろうから、お母さん頑張るよって、そんな範囲を優に超えてますよね。そういうのを私が小学校の時、ずっとしてくれていました。母が旅行の企画が好きだったのもあるとは思いますが。

母の葬式には、私の友達が大勢参列してくれました。「みんなのお母さんだったからね」と言ってもらえて誇らしかったです。私が友達をどんどん家に連れてきていたからというのもありますし、母が若くして亡くなったというのもありましたが、それにしてもとにかくけっこうな人数が来てくれました。(続く)

ジェーン・スー
作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ
1973年、東京生まれの日本人。現在、TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のMCを務める。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎文庫)で第31回講談社エッセイ賞を受賞。著書に『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(ポプラ文庫)、『女の甲冑、着たり脱いだり毎日が戦なり。』(文藝春秋)、『今夜もカネで解決だ』(朝日新聞出版)などがある。
(聞き手・構成=矢部万紀子 撮影=プレジデントオンライン編集部)
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