頑張り屋の娘は、一部上場企業で働いていたが……

相談者の家族は中部地方に在住のため、今回は母親だけが上京することになりました。長旅でお疲れのようでしたので、私は無理のない範囲で聞き取りをしました。

写真=iStock.com/kaipong

それによれば、長女は大学卒業後、一部上場企業へ就職。仕事はとても忙しく、残業は毎日深夜まであったそうです。当時、50代後半の両親も、頑張り屋の長女が歯を食いしばって仕事をしている姿を頼もしく思っていました。ところが、1年ほどで体調を崩してしまい退職。その後は家の中でゆっくり過ごしていました。

本人としては数カ月ゆっくりするつもりだったのですが、いつの間にか年月はどんどん流れ長女は20代後半に。周りの友人知人が出世していったり結婚して家庭を築いていったりする中で「自分はなんてダメな人間なんだ」という思いを抱くようになってしまったようです。自分自身を責め続けたせいか、いつしか社会と接点をもつことも難しくなっていきました。

▼30歳手前、突然、弁護士の資格を取ることを決意

このままじゃいけない。

30歳手前になって長女は突然、弁護士の資格を取ることを決意し、数年間は1日何時間も勉強をしていたそうです。しかし、司法試験には何度受けても合格できず、いつしか勉強に集中できなくなっていきました。

すでに定年退職を迎えていた父親や母親が心配して声をかけると「うるさい! あんたたちのせいで勉強に集中できない。弁護士になれなかったらあんたたちのせいだからな」と怒られてしまうため、そっと見守っていくことしたそうです。

しかし、結局のところ、弁護士になる夢を果たすことができないまま、以後20年以上も無為な時間が流れました。その間、長女はずっと家にいて、「(娘に)社会復帰してほしい」という老親の思いも自然に消えてしまいました。

▼「あんた(母親)が死んだら、私はどうやって生きていけばいいんだ」

2年前、父親が亡くなった後、状況が悪化します。長女はイライラすることがさらに多くなったのです。時には、深夜に母親を起こして、今までの恨み、つらみ、将来の不安をぶつけてくることもありました。当初は母親も長女と口げんかをよくしたそうです。しかし、最近は高齢ということあってすぐに疲れてしまい、長女の言い分をただただ静かに聞くだけということも増えていきました。

「あんた(お母様)が死んだら、私はどうやって生きていけばいいんだ。私にはお金がない。何とかしろ!」

長女はこのようにお金の不安も口にするようでした。

確かに不安は大きいことでしょう。仮に長女が少しでもお金を稼ぐことができれば将来の見通しはかなり改善します。そこで長女がアルバイトなどをしてお金を稼ぐことができそうかどうか聞いてみました。

「仕事をしてお金を稼ぐのは難しいと思います……。本人はいまだに弁護士にこだわっていて、他の仕事をする気持ちはないようです。それでも長女はなんとかなるのでしょうか?」

母親は心配顔です。私は、現在の収入や支出を確認し、長女の将来の見通しを立ててみることにしました。