制作予算でテレビ局を凌駕する新興勢力

ネットの勢いがこれほどおさまらない理由の一つは、ネットフリックスのような新しいメディアが登場しているからです。この新メディアの強みは、ネット的でもなく、テレビ的でもないところと言っていいでしょう。「ネット的でもなく、テレビ的でもない」と表現したのは、彼らが作っているコンテンツはテレビ(もしくは映画)そのものなのに、それらをネット上で流しているためです。

放送と通信の融合は、本来であればテレビ局が進んで模索すべき道です。ところが、一向にそうした動きは見られずに、気が付いたらネットフリックスのような存在が突如現れ、テレビ局のようにドラマやドキュメンタリーを作り始めるようになっています。ネットフリックスについて言うと、彼らがコンテンツに費やせる予算はすでにテレビの規模を超越しており、今後もいいコンテンツを作り続けていくことでしょう。そうなると、テレビの存在はますますシュリンクしていきます。

この流れが世界的な潮流ともなっているので、逆らうのはかなり難しいでしょう。長期的には、やはりテレビ局はなくなる運命にあると私は考えています。

コンテンツ制作集団への脱皮が生き残りへの道

ただし、コンテンツを作り、それを商品として売るというビジネスは必ず残ります。テレビ局が今も行っているコンテンツ作りという仕事はなくならないのです。これから先、テレビ局に求められるのは、「テレビ局」という名称を捨て、エンターテインメント制作集団、もしくはコンテンツ制作集団への脱皮を視野に入れることでしょう。自らが制作したものを発表する場は、地上波だけに限定するのではなく、ネット、映画など、幅広い範囲に設定すべきです。そういう形にしないと「コンテンツ制作者」としての未来も完全に失ってしまうかもしれません。

現在のテレビ局がなくなる運命にあっても、放送波としての地上波は残ります。ニュースやオリンピックなどの人気コンテンツは、地上波で流しても常に需要はあります。ただし、それらのコンテンツを流すだけで、採算を合わせることができるかどうかはわかりません。

やはり、発表する場や制作手段を問わずにコンテンツを作り、それをいろいろな形にリフォーマットして提供していく制作集団になるしか生き残る道はないのです。残念ながら、現状を見る限り、そうした動きは本格的にはまだ出てきていません。