不遇時はじっと雌伏、役どころを得れば命をなげうち奔走

彼は、貧乏旗本から幕閣に取り立てられていくわけだが、それだけに徳川幕府、とりわけ将軍家に対するシンパシーは人一倍強かった。後年のことだが、朝敵とされ、明治維新後は官位も失ってしまった徳川慶喜の名誉回復にも奔走している。

ところで、海舟が成した仕事のハイライトは、慶応4(1868)年の江戸無血開城である。当時、彼は幕府内の軍事を統括する陸軍総裁の立場で、征東軍参謀の西郷隆盛と高輪にあった薩摩藩邸で会談した。

すでに大政奉還した江戸幕府、かたや京都から“錦旗”を立てて進軍してきた薩長勢。すでに優劣が明らかななかで、海舟は決死の交渉に臨んだ。西郷に向かって「もはや恭順の意を示している慶喜を処罰したり、江戸城を総攻撃したりするよりも、欧米列強から日本を守るために幕府も薩長もなく国民は一体となるべきだ」と主張し、当時100万都市だった江戸の庶民を守り抜いた。

このぶれない姿勢こそ、海舟の真骨頂だ。不遇のときはじっと雌伏し、役どころを得れば命をなげうち奔走する彼に、誰もが心服した。明治政府には参議、海軍卿として参画し、伯爵に叙される。薩長人脈が権力の中枢を握る時代に幕臣にもかかわらず名が残ったのは、彼が一代の英傑だったからにほかならない。

▼勝海舟に学ぶべきポイント
1:右顧左眄せずにドンと構える人間が誰よりも強い
2:逆境では与えられた場所で一生懸命に取り組む
3:役どころを得れば、命をなげうってでも奔走する

小野雅彦
フリーライター
歴史時代作皆木和義童門冬二家クラブ会員。出版社、編集プロダクションを経て独立。著書は『なぜ家康の家臣団は最強組織になったのか「徳川幕府に学ぶ絶対勝てる組織論」』。
(構成=岡村繁雄 写真=iStock.com)
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