【片山】もともとは拉致被害者を2週間後に北朝鮮に帰す約束でしたね。

【佐藤】そうなんです。この外交には、小さな約束と大きな約束の二つがありました。小さな約束を守ったからといって、大きな約束を履行するとは限らない。ただし小さな約束に従わなければ、大きな約束に踏み切れない。この場合、拉致被害者を2週間で北朝鮮に返すという小さな約束のあとに日本は経済支援を行い、北朝鮮は核と弾道ミサイルを廃絶するという大きな約束が履行されるはずでした。

【片山】しかし帰さなかった。いえ、日本の世論を考えれば、帰国させられる状況ではなかった。

田中均は責任をとって辞めるべきだった

【佐藤】その世論の動きを読めなかったのが、田中均の最大のミスだった。

外交官が両国からよく見られようとしたら交渉なんてできません。北朝鮮からは植民地主義の反省がないと叩かれ、日本でも北朝鮮の手先だと罵られる。そのぎりぎりのなかで交渉をまとめ上げなければならない。

彼は、約束を果たせなかった責任をとって辞めるべきだった。そうすれば、北朝鮮にも顔向けができた。ほとぼりが冷めたら政治家か、政治任用で田中に北朝鮮外交担当の職を与えることもできたわけですから。でも田中にはその覚悟がなかった。約束を履行できなかった責任も取らずに、先頭に立って北朝鮮を叩きはじめた。

【片山】小泉訪朝の失敗が今日の日朝関係の混乱を招いたと言えます。万景峰号を入港禁止にしたところで北朝鮮は痛くもかゆくもない。制裁強化というものの、もう制裁するものがない。今後どうすべきか。打つ手がありません。

【佐藤】小泉訪朝にはもう一つ大きな失敗がある。1回目の首脳会談で北朝鮮は拉致被害者8人の死亡確認書を提出しました。しかし書類の中身を確認せずにすぐに受け取ってしまった。確認さえしていれば、なぜ死亡した日時や場所がバラバラなのに死亡確認書を発行した病院が同じなのかなど様々な矛盾点を指摘できた。

会談に同席できる人は限られていますが、同行する荷物運びや連絡役のスタッフ全員を朝鮮語の専門家にしておけば、受け取ったレポートをすぐに6、7等分にして全員で翻訳することができたはずです。

【片山】佐藤さんが小渕・エリツィン会談で行った方法ですね。日朝首脳会談でそれさえやっていれば状況は変わっていた。合理的な説明がなければ、受け取らず突き返すという選択もできた。もっといい回答を引き出せたかもしれない。問題は中途半端な回答を受け取ったことで、生存中の拉致被害者がその後の日朝関係の変化で危ない目に遭った可能性も考えられる。

【佐藤】そうです。現場での瞬間的判断の問題です。うまくやっていれば、現在の日朝関係だけでなく、北朝鮮による軍事的な緊張状態も緩和できたかもしれません。

佐藤 優(さとう・まさる)
作家
1960年、東京都生まれ。1985年、同志社大学大学院神学研究科修了の後、外務省入省。在英日本国大使館、在ロシア連邦日本国大使館などを経て、外務本省国際情報局分析第一課に勤務。2002年5月、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕。2005年2月執行猶予付き有罪判決を受けた。主な著書に『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』(毎日出版文化賞特別賞)、『自壊する帝国』(新潮ドキュメント賞、大宅賞)などがある。
片山 杜秀(かたやま・もりひで)
慶應義塾大学法学部教授
1963年、宮城県生まれ。思想史研究者。慶應義塾大学法学部教授。慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程単位取得退学。専攻は近代政治思想史、政治文化論。音楽評論家としても定評がある。著書に『音盤考現学』『音盤博物誌』(この2冊で吉田秀和賞、サントリー学芸賞)、『未完のファシズム―「持たざる国」日本の運命』などがある。
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