いうまでもないことだが、働きやすさはその多くが職務のもつ特徴や、職場での働き方(働かされ方)に依存する。仕事が、労働時間や勤務の場所、勤務形態などについて、働きにくい特徴をもっていたら、当然働きやすさは低下する。また職場も同様で、例えば、人員が必要最低限しかいない職場は、それだけ、一人ひとりの個別事情に対応する余裕がないだろう。そういうとき、働く人は、働きにくさを感じる。

働く人が働きやすさを認識したり、しなかったりすることに関わる本質的な要素の一つが、仕事の内容と職場の状況なのである。いや、それが一番大きいかもしれない。たとえ、最新のインテリジェントビルにオフィスがあり、物理的な働きやすさが確保されていても、仕事が厳しく時間管理され、職場に余裕がなければ、働きやすさはない。こうした働きにくさは目に見えないだけに、対応が難しい。逆に、福利厚生や物理的環境などは、目に見えるだけに対応しやすい。

「幸せ感」には「普通の幸せ」と「真の幸せ」がある

具体的に見えにくい要素としては、目標設定のあり方、仕事の進め方、進捗管理のあり方、職場への資源配分などである。自分の職場を思い浮かべていただければよいが、こうした要素はここしばらく、合理化、効率重視の基準で見直されてきた。確かに、効率やコストという基準は企業業績への影響も強く、経営的に見て重要な基準である。業績悪化時の改良や改善のためには、注目されやすい基準である。だが、こうした要素を変更するときに、働く人が感じる働きやすさを基準として盛り込むことは少なかった。

働きやすさとは、職場や仕事の「働き勝手」のよさなのである。顧客のために、モノやサービスの使い勝手のよさを意識する企業の多くが、同時に従業員にとっての、仕事や職場の「働き勝手」のよさにどれだけ関心を示してきただろうか。こうした基準をどれだけ考慮して職場と仕事を設計するかが、働きやすさを決定する。このプライオリティが崩れていた企業が多かったのではないだろうか。