「まだ半分」のプラス発想

かつては、全国にある13万軒の酒屋からどれだけ好意を勝ち取れるか、店頭で推奨販売をしてもらえるか、料飲店を紹介してもらえるかなど、課題はすべて人間関係につながった。いま、売り上げの3分の2がスーパーやコンビニ、安売り店などの量販店経由。料飲店は3割弱、酒屋への直販は1割もない。営業マンのほうも、焼酎やワインなど売る品が増えた。自分たちの時代と同じことを要求しても、無理がある。無理はあるけど、商品は、やはり人と人とのつながりのなかで売れていく。量販店の社長でもバイヤーでも、どれだけの人間関係が築けているかということが、大切なはずだ。

「経営の神様」と呼ばれた松下幸之助さんが言った。「教えずして、何も生まれてこない。教えるということは、後輩に対する先輩の大事な務め。教えることに、もっと熱意を持ちたい。教えられることに、もっと謙虚でありたい」。思いは同じだ。

社長になった翌年、男女の若手営業社員が新入社員の育成を受け持つ「ブラザー・シスター制度」を創設した。10円玉をいっぱい持って、公衆電話の前に立ち続けた経験が、その源流にある。

1942年1月、福岡県嘉穂郡嘉穂町(現・飯塚市)に生まれた。家は貧しく、いつも「町から出て、頑張りたい」と思っていた。福岡市にアサヒの工場があり、就職先を選ぶとき、友人が「入社試験があり、ビールを飲ませてくれるらしい」と言うのでいってみた。貧乏学生には、ビールは高嶺の花の時代。でも、ビールは飲めずに終わる。出てきたのは、「三ツ矢サイダー」だった。

65年春、九大経済学部を卒業。入社後、宣伝課を経て現場へ出た。小さいころから口は重いほうだったが、兄弟姉妹が多く、人付き合いも苦にならず、地方勤務も楽しめた。