振り出しは、東京支店三多摩営業所。当時は、ひたすら「がむしゃらにやる」が営業文化だった。もちろん、自分もそうすごす。だが、3年後に赴任した長野で転機を迎えた。

松本市に駐在し、中信地域を担当する。仕事は、卸売業者から酒屋へ流れる販売量を増やすこと、飲み屋やバーなど料飲店に売ること、そして自社の自動販売機の設置台数を増やすこと。それらを、がむしゃらにやればいい、と思って着任した。

ところが、いきなり戸惑った。長野県酒販という卸問屋の松本支店長が、毎朝、電話で「昨日は、何箱売れた?」と尋ねてくる。それに答えるためには、毎晩、料飲店巡りを終えた後、長野県酒販へ行って個別のデータを集計する必要があった。当然、帰宅は深夜に及ぶ。

だが、データを得意先ごと、地域ごとに整理していくと、様々なことがわかった。あれこれ、営業戦略も浮かんでくる。支店長が、そこまで考えて電話攻勢を仕掛けたのかどうかは、わからない。やがて、データは分厚い青いファイルとなる。5年後、転勤に際して後任者に渡した。相手はびっくりした。当時の営業マンたちは、どんぶり勘定的な仕事ぶりで、データなど、ごくわずかしか手にしない。しかも、営業に出るときには置いていく。だが、青いファイルは、いつも持ち歩いていたのだろう、かなり傷んでいた。

取引先のニーズをつかみ、それに応え、ファンになってもらう。いまでは当たり前の「顧客志向」が、身に付いた。もう一つ、営業は楽しんでやるということも、教わった。

40代前半の関東支店課長時代、全国シェアが10%割れ寸前まで落ち、社内の活気は失われた。市場環境は最悪。でも、課の全員で「あの地区の自販機を、全部アサヒにしてみよう」などと、小さくても具体的な目標を立て、楽しみながらクリアして、みんなで達成感を味わった。

達成感は大切だ。自信にも活力にもなる。だが、時代は大きく変わり、ビール市場も激変した。『スーパードライ』の爆発的なヒット以来、いまや「売れる経験」しか持っていない社員のほうが多い。「営業の心」の継承は、大きな課題だ。