安い給料かつ平社員で定年を迎えたとしても、「自分はとことんやった」と思う人はいるでしょう。でも、「成仏」とまで言える満足感を得るには、お金をある程度稼いで、妻子にも苦労はさせなかったという実感が必要。さらには、自分がした「いい仕事」が次々思い出せるうえ、人に自慢できるようなポジションにまで登りつめた――これくらいの条件がそろって初めてサラリーマンとして「成仏」できるのだと思う。でも、こんな人はそういません。

脚本家の内館牧子さん(撮影=原 貴彦)

80歳を過ぎても現役の「終わらない人」はまれ

2つめは、エリートだったこと。エリートの壮介は、非エリートが見られなかった景色をいっぱい見ました。非エリートができない経験もたくさんして、いい目にもたくさんあった。でも、そこに落とし穴がある。現役時代と定年後の落差が激しいから、「自分は終わった」と強く感じるし、「社会から必要とされていない」と思えばつらいし痛い。

最後の地獄は、つぶしがきかなくて、特技のない人間だったこと。たとえば外国語がペラペラなら、あるいは何かの分野で抜きんでた知識や技術があれば、定年後もそれを生かして働けるかもしれない。私のまわりの編集者も「肘掛けがなくなったよ」なんて愚痴を言いながら、定年後も結構楽しそうに働いています。これは、編集という特技を活かしつつ、うまく「軟着陸」できた人の好例でしょう。

作中にも、壮介との対比にトシというフリーランスの男を登場させました。

私も含め、フリーランスには「定年」はありません。でも、山田洋次監督や脚本家の橋田壽賀子さん、テレビプロデューサーの石井ふく子さんのように、80歳をとうに過ぎても現役バリバリなんていう「終わらない人」はまれで、多くの人は才能ある若手に徐々に仕事を奪われて「終わって」いく。

でも、自分たちも若い頃、上の世代を蹴散らして最前線に立ったという覚えがあるし、フリーは腕がなければ30歳でも40歳でも仕事がなくなる。その現実を知っているから、覚悟もある。つまり、会社の看板に頼らず仕事をしてきた人は、自分に納得できるから、「成仏」しやすい。そして、エリートにはないアップダウンを経験しているから落差にも強い。ずっとエッジの上を生きてきた人は、一番軟着陸がうまいんですよ。