厳しく緩みのない競争は、組織や人を鍛える大事な原理である。組織も人も、競争相手に負けないよう自分を鍛える。競争があって初めて、「自らとは何か」を自らに問い、競争の中で自分の在り処をなくさないよう独自のポジションを確保しようとする強い気持ちが生まれる。一瞬でも気を緩めると自分の立場を失ってしまうような「競争」は、私たちが成長していくうえで、なくてはならない原理なのである。

だが、競争原理も万能ではない。というより、マイナスの動きも加速させることに留意したい。

第一に、厳しい競争原理が浸透した社会においては、組合や業界団体などといった仲間意識を軸とした中間的組織は軽視される傾向をもつ。市場とも組織ともいえない中途半端な組織は、競争原理を内から腐らせる要素と見なされ、排除される傾向さえ生まれる。

それに加えて第二に、厳しい競争下に置かれた中で成功する人や組織は、緩みなく自分を鍛えた結果、自然と、「自分と外部との繋がり」を薄くする。私たちの周りを見てもわかるだろうが、自分を鍛え、自分に自信とプライドをもつ人ほど、すべての問題を自分の中で解決しようとする。「武士は食わねど高楊枝」はその一つの姿だ。そして、自ら、他からの支援を受けにくくしてしまう。まちの商人で言うと、人に頼らず自分だけで店を切り盛りできる人は、「自分の中だけで問題を解決する力」をもつがゆえに、外からエネルギーや情報を繋ぐ「プラグ」は無駄な存在に見えてしまう。

厳しく緩みのない競争原理は、社会にとって重要だ。だが、それだけでは社会の永続性を保証することはできない。社会の永続には、乱気流の時代にあっても、折れそうで折れない「しなやかさ(Robustness)」が必要だ。社会のしなやかさには、競争で鍛えられた一人一人の強さに加え、一旦ことあらば、助け合いの秩序が生まれる仕組みが必要だ。いわば、一人一人を結びつける「外に向いたプラグ」を、それぞれに取り付ける余裕がその社会にあるかどうかだ。

こうした原理は、仲間原理と呼べるだろう。競争原理に加え、もうひとつこの原理が社会に埋め込まれて、しなやかな社会が成り立つ。