「結婚退職」というセクハラが当たり前だった時代

今にして思えば驚くべき話だが、ほとんどの会社で「結婚退職」は当たり前のこととして横行していた。結婚すると女性だけが解雇されるわけで、憲法上の性差別に当たる。

なぜこのようなことができたかというと、会社側は解雇ではなく、自発的な退職を迫っていたからなのである。いわゆる「肩叩き」というもので、結婚したら机を撤去する、仕事のない部署に配置転換したりする。

これらを不当と訴えた「山一証券結婚退職訴訟」(名古屋地方裁判所 昭和45年8月26日)の記録を読んでみると、女性は会社側から「山一としては結婚したらやめてもらうことになつているからやめてくれ」「他を斡旋してやるから退めなさい」「そういう男性を選ぶからだ」とまで威嚇されたそうだが、会社側は「結婚退職制は全く存在しない」と反論した。

それは「一つの慣行となつているものの、これはなんら強制力を持たないもので、専ら女子社員の自発的な意思のみによつて維持されている」とのことで、威嚇に関しても「女子社員の結婚後における作業能率などを考慮した一般的な見解を述べた」にすぎず、「少しの注意を払えば、会社に結婚退職制が存在しないことを知り得た筈」などと女性の無知を責めている。

要するに制度ではなく、空気で会社を辞めさせる。社内の空気で退職に追い詰めていくのだ。

――南村さんは辞めなかったんですね。

「だって辞める理由がないでしょ」

「前例がないから、自分でルールをつくった」

誰も「2年で辞めろ」とは言っていないし、肩叩きがあったわけでもない。彼女は周囲に流されず、結婚した後も勤務を続け、30歳で娘さんを出産。社内では前例がないことで、「産休」「育休」などの制度もなかったという。

「娘を出産した時はさすがに『辞めようかな』と思いました。でも夫や家族に『もったいない』と言われまして。ウチの両親なんか『子供の面倒は見てやるから』とまで言ってくれまして。私自身、仕事が面白かったんです。海外事業部にいたので海外出張にもよく行けたし。そうなると辞める理由がないでしょ」

出産の8週間後に会社に復帰。体調も含め、さぞかしご苦労されたのではないかと思いきや、「そうでもありません」とのこと。

「前例がないから、自分がルールをつくったんです」