ロイター/AFLO=写真
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内閣官房長官 藤村 修(ふじむら・おさむ)
1949年、大阪府生まれ。73年広島大学卒業後、交通遺児育英会の職員に。93年衆議院初当選。2009年厚生労働委員長。11年9月2日、野田内閣の内閣官房長官に任命され、初入閣。


 

「首相を超える大官房長官ではなく、女房役として裏方を守りたい」。官房長官としての初記者会見では、地味な野田佳彦首相よりさらに地味に裏方に徹する意向を語った。

閣僚経験ゼロ、テレビ嫌いで記者会見も苦手。これまでほとんど表舞台に顔を出すことはなかった。だが、水面下の根回しや交渉、調整に長けた実務派としての党内評価は高く、国会運営や政策決定の場でキーパーソンとなることは多い。先の民主党代表選では選対本部長として、鹿野道彦陣営、前原誠司陣営に働きかけ決選投票での下位連合をおぜん立てし、その交渉手腕を発揮した。子ども手当などの見直しを巡り、反発する小沢一郎グループを説き伏せ「3党合意」を実現したのもこの人であり、震災復興特別委員会で民主、自民、公明3党による「復興基本法修正協議」も合意に導いた。

野田首相とは1993年日本新党で初当選して以来の盟友であり、2006年の“偽メール問題”で野田氏が国会対策委員長を引責辞任した際には一緒に国対委員長代理を辞任したほどの絆がある。底なしバケツといわれるほどの酒豪で、酔うと「いつか野田を首相にする」が口癖。広島大学在学中に交通遺児の作文に感涙して、交通遺児育英会でボランティア活動を行い、そのまま交通遺児育英会職員となるなど人情家で弱者に優しい人格者と党内や番記者の人望は厚い。

あだ名は“ドラえもん”。風貌が似ている。「最後には、もうあなたしかいない」と、のび太ならぬ野田氏から泣きつかれ、逡巡した末、官房長官ポストを引き受けた。野田内閣が直面する内憂外患を解消する秘策を取りだす四次元ポケットはもたないが、風雨の中を黙って共に歩く古女房としての覚悟はそれ以上の強みとなろう。