国民が持っている「埋蔵金」

五木寛之●作家
五木寛之●作家

規制強化の流れは大資本の経済活動を制限するだけではなくて、個人個人の経済活動をも縛ってゆくものだということに大衆は案外気づきません。たとえば預金の現在額や出し入れがチェックされる。大きな金額をまとめて引き出すときは用途を尋ねられ、大きな買い物をしたときには資金の出所を厳しくチェックされるというように、やがてさまざまな個人の経済活動が国家の管理システムの下に統合されてゆくこともあるでしょう。

戦後民主主義の中で育った世代は国家権力の怖さを知らない。明治維新では武士階級と禄が廃止されましたが、必要とあれば政府は国民の金を巻き上げることを厭わない。戦後、私たちの世代の大きな記憶は預金封鎖です。農地解放で私有財産制度を否定した後に、預金封鎖も行った。個人の預貯金が凍結され、家族の数に応じて決められた額しか月々下ろせなかったのです。

タンス預金に対しては新円切り替えです。お金を切り替えればいくら押し入れに現金を隠していても使いようがない。新円の印刷が間に合わないから旧幣の上に切手のような証紙を貼って、これを貼ってない旧弊は使えなくした。これをやれば個人のへそくりもブラックマネーも簡単に把握できる。政府の持っている埋蔵金ではなくて、国民の埋蔵金が全部表に出るわけです。

いま、国と地方を合わせた借金の額は天文学的な数字になっています。国民の隠し財産がかなりあるから、国の借金と国民の資産でトントンだ、と。最終的に国家財政がデフォルトせざるをえないような状態に立ち至ったときには国民に負担してもらえばいいという計算らしい。

預金封鎖なんて実感がわかないかもしれませんが、天災と一緒でいつやってくるかわからない。デノミだ何だと言われなくなったときが一つのタイミングです。これは空想にすぎませんが、私たちの世代にとっては実体験です。

財政破綻のクライシスと同時にやってくるのがスーパーインフレです。午前と午後で値段が3倍違うような超インフレをアルゼンチンとモスクワで2回経験しているので、私はリアルにありうる話だと思う。一方でガソリン価格の異常な変動ぶりを見ていると超デフレもありえそうに思えてくる。両極端に振れる可能性のある恐ろしい時代を私たちは迎えているようです。笑う人には、笑ってもらって結構ですが、世の中、なにが起こるかわからない、と覚悟しておく必要はあるでしょう。

(大沢尚芳=撮影)