これで毛沢東は、党の政治的指導者の地位だけでなく、党の思想的「教祖」としての権威も手に入れた。そこからわずか4年後の49年、「教祖」となった毛沢東の指導下で、中国共産党は国民党政府との内戦で奇跡的な勝利を収め、天下をとって中華人民共和国を建国した。そして建国後、毛沢東思想が新しい中国の憲法に盛り込まれた。

習近平の「業績づくり」は「国の外」にしかない

その建国から1976年の毛沢東の死去まで、毛沢東思想は至高のイデオロギーとして党と全国人民を支配したが、一個人の思想がそれほどの権威をもった背景にはもちろん、中国共産党を内戦の勝利へと導き、国を建てた毛沢東の「偉業」があった。

毛沢東の死後、次の最高指導者となったのは前述の鄧小平だが、鄧小平は改革・開放路線を推し進めて中国経済を成長路線に乗せ、かつての貧困国家・中国を世界第2位の経済大国へと変貌させた。この歴史的業績をもって、彼の死後の1997年、「鄧小平理論」が党規約と憲法に明記されたが、それは毛沢東思想よりは一段格下の「理論」に止まった。

それに対して総書記になってからわずか5年、これといった業績もない習近平は、鄧小平さえを凌駕(りょうが)して建国の父の毛沢東と肩を並べ、自らの「思想」を党規約と憲法に盛り込んでしまった。しかしそうすることで、習氏は自らが行うべきハードルを大いに上げてしまったのである。

党規約と憲法に自らの名前が記載されるのは一瞬だが、この「習近平思想」が真の指導思想として絶対的な権威を確立していくのはとても難しい。前述のように、毛沢東思想や鄧小平理論の権威は、この2人の政治指導者の歴史的業績によって裏づけられているが、現在の習近平氏にはそれがない。

したがって今後、自らの「思想」の権威確立のために、習氏はかつての毛沢東や鄧小平と比肩するほどの業績を作っていかなければならない。しかし現在の中国には、指導者が内政面において毛沢東の建国や鄧小平の改革開放に比敵するほどの業績を立てられる余地はすでにない。ならば習氏にとって、歴史的業績をこれからつくり上げられる新天地は、「国の外」しかないのだ。

つまり、アジアと世界における中国の覇権樹立という、毛沢東と鄧小平が夢見たものの達成できなかったこの申し分ない「偉業」を、習氏は自らの手で成し遂げることで、彼の「思想」は本物の「指導思想」となって支配的権威を確立でき、そこで習氏は初めて毛沢東や鄧小平を超える「本物の皇帝」として、中国に君臨することができるのだ。