私は東京・中野の映画館で5回見た。最後は、当時出たばかりの小型の録音機を映画館に持ち込み、隠し録りをして、100回以上は聞いたと思う。

というのも、私は高校3年生で、これから受験勉強という二学期の始めに担任から結核だと告げられ(小学校入学時にも一度かかっている)、受験どころか、家から出られない境遇になってしまったからだ。

家をこっそり抜け出しては映画館の暗闇の中で、みち子の身の上と自分を重ね合わせ、声をかみ殺して泣いた。

その前に、大空眞弓・山本学でやったテレビドラマのほうが出来はよかったのかもしれないが、私の青春時代のほろ苦い思いが染みついた映画である。

過労とストレスで声が出なくなった小百合だったが、女優としても、女の子から大人の女性へと「脱皮」することができず、映画会社から声がかからなくなる。

そんな不遇の彼女を慰めてくれたのが、15歳年上でバツイチのテレビ・ディレクターだった。

「真面目で初心だが、凡庸で幼稚」な女優

なぜ、そんなオヤジと結婚したのか。それを謎解きしてくれるような本がある。子役からマルチタレントになった中山千夏が書いた『クワルテット』(話の特集)である。

小百合の映画を何作か撮っている中平康監督の娘で、小百合とも親交のあった中平まみが、小百合に「これはあなたのことね」と聞いたら、彼女がむきになって否定したという。

内容は、美人の清純派女優が、20代後半になって以前ほど売れなくなってきた。そこで、彼女の熱烈なファンである作家と写真家、プロデューサーの3人が、彼女を年相応の女に仕立て上げようと、個人レッスンを始める。

「真面目で初心だが、凡庸で幼稚」な女優は3人のあの手この手のかいなく、変身に成功しないのだが、プロデューサーと恋仲になってしまう。

持て余した男が、彼女を映画の下見にヨーロッパへ行かせる。それに同行して、親切に彼女の愚痴を聞いてくれ、励ましてくれたテレビ・ディレクターと結婚してしまうのだ。

それを知った件(くだん)のプロデューサーは、こういう。

「いくぶんシャクではありますがね。仕方ないでしょう。バカな女には結婚がよく似合う」

モデルが小百合だと思って読むとすこぶる面白い。

なぜ名作といわれる出演作が少ないのか

われわれサユリストたちは、結婚の報を聞いて紅涙(?)を絞った。わら人形を作って「早く離婚しろ」と五寸釘を打ち付けたやつもいた。

だがそのかいなく、今も亭主は健在だと聞く。この結婚が、唯一、小百合にプラスだったとすれば、年が離れていて、子どももいないために所帯臭くならなかったことだろう。

女優としての悲劇は、先ほども触れたように、彼女は多くの作品に出ているが、名作といわれるものが極めて少ない。

『男はつらいよ 柴又慕情』(山田洋二監督)は結婚直前のものだ(もう一本は結婚後だが、あまり感心しない)。小百合はいいが、主役は渥美清である。『動乱』(森谷司郎監督)も好きな作品だが、主演は高倉健である。

女優は子役、少女から大人の女へと自然に変わっていくものだが、彼女は父親の様な男と結婚したため、その機会を逃がしてしまったのだ。

五木寛之原作の『青春の門 筑豊編』では、荒くれの炭坑夫たちの中で子供を育てるたくましい女を演じた。自慰シーンはあるが裸になるのは拒否した。

同じような苦労をした女優に日本映画史を代表する田中絹代がいる。14歳で松竹に入社して清純派スターとして松竹の看板女優となった。小津安二郎、五所平之助、溝口健二、成瀬巳喜男、清水宏、木下惠介ら大物監督に重用され約260本の作品に出演したが、年を重ね、それまでのイメージを拭い去ることに苦労した。

主演作を新聞の映画評で「老醜」とまで酷評され、脇役を演じることが多くなったが、演技派へと脱皮した。木下恵介監督『楢山節考』(1958年)では自分の歯を4本抜いて鬼気迫る老婆を演じ、キネマ旬報賞女優賞を受賞した。

小百合は『私が愛した』の中で、田中の女優としてのすごさを知ってはいるが、「私は、田中さんみたいに自分の歯を抜いて年を取った役をやるようなことはできない」と語っている。