それはマルヒアだけではなかった。学院開設当初から今日まで、50年間一貫してフラガールの指導にあたっている学院最高顧問のカレイナニ早川(早川和子)も、自ら率先してキャラバンを提案した斎藤も、事情が事情だけに、(全員がそろうことはないだろう。取りあえずは集まったメンバーで、できることを精いっぱいやるしかない)と考えていたという。

ところが、当日ふたを開けてみると、学院のレッスン場には誰一人欠けることなく29人のメンバーが全員集まり、再会を喜び合っていたのだ。練習が始まると、久しぶりに仲間と一緒に踊ったことに感激したのか、泣き出す子が何人もいた。

現代のフラガールにも受け継がれる「一山一家」の精神

フラやフラガールに対する風当たりが強かった50年前、初代のフラガールたちが、崩れゆく炭鉱社会と家族の生活を、自分たちの手で何とかしなくてはいけないと頑張ったのと同じように、平成の世のフラガールたちも、未曾有(みぞう)の大地震と原発事故で危機に直面した故郷を目の当たりにして、いまこそ自分たちが立ち上がらなくてはならないと思ったのだろう。

『「東北のハワイ」は、なぜV字回復したのか』(清水一利著・集英社刊)

当時を振り返って、斎藤がいう。

「キャラバンをやるという指示を出したのは私だが、成功したのは、もちろん彼女たちの頑張り、それがすべてだ。あの時、メンバーの多くが地元いわきを中心とした福島県の出身だったというのが大きかったと思うね。そうでなかったら、途中で挫折していたかもしれない」

こうして、10月1、2日に地元いわき市の21世紀の森公園で行われた「がんばっぺ! いわき復興祭」のフィナーレステージまで、キャラバンでの公演は韓国・ソウルを含めて26都道府県、124カ所、245回に達した。

その結果、フラガールの知名度アップ、イメージアップに大きく貢献。福島、いわきはもちろん、東北復興のシンボルとしてハワイアンズ再開後の復興支援の大きな力となった。

清水一利(しみず・かずとし)
フリーライター。1955年生まれ。PR会社勤務を経て、編集プロダクションを主宰。2011年3月11日、新聞社の企画でスパリゾートハワイアンズを取材中に東日本大震災に遭遇。同所でスタッフや利用客とともに数日間の被災生活を強いられる。当時の体験を綴った『フラガール 3・11』(講談社)を上梓した。新著に『「東北のハワイ」は、なぜV字回復したのか』(集英社新書)。
(写真=常磐興産)
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