メルケルは「われわれにはやれる!」とプロパガンダめいた掛け声で国民に発破をかけ、ガウク前大統領は、ドイツ人を「明るいドイツ人」と「暗いドイツ人」に分け、難民受け入れに対する抵抗の大きかった旧東独の人々を非難した。

現在、難民のためにドイツ政府が支出しているコストは年間200億ユーロ(約2.6兆円)を超えており、連邦財務省は2016年から2020年までに、936億ユーロを支出することを見込んでいる。さらに、難民対策費としては計上されていない、膨大な事務処理コスト、治安の悪化に伴う警官の増員費用や残業代なども加えれば、金額はもっと膨れ上がる。にもかかわらず、それが議会で討議されることはなく、既成事実を合法化する試みもなされない。

それどころか、現在の難民政策に疑問を呈したり、難民による犯罪の増加に懸念を表明したりしただけで、たちまち「反移民」「差別主義」、ひいては「ナチ」呼ばわりされる。そして、その先鋒(せんぽう)に立っているのが、本来なら自由な論争を擁護すべき大手メディアなのだ。いまのドイツ社会は、とても息苦しい。

中道保守党「左傾化」のすき間を埋める新興政党

そのドイツでいま、皮肉にも、「民主主義」という言葉が異常なほど叫ばれている。しかし、実際にはこの国は、「民主主義」の轍(わだち)から次第に外れかけているのだ。それどころか上空には、うっすらと全体主義という霧がかかりはじめているような気さえする。
いまのドイツの政治エリートや大手メディアが理想とする世界とは、国家も国境もなく、みなが平等で、政府が生産や消費を管理し、情報や思想が完全に統制されているために争いのない「平和な世界」かもしれない。それはどこか、オーウェルの『1984年』の平和に似ている。

今年、ドイツサッカーのブンデスリーガ第1部のチーム「アイントラハト・フランクフルト」の後援会が、メディアで極右扱いされている政党AfD(ドイツのための選択肢)の支持者を締め出すことを決めた。試しに入会手続きをとってみたAfD議員2名が2月、ほんとうに入会を拒否された。そして、その決定を「緑の党」や「左派党」の議員が称賛した。

ちなみにAfDとは、2013年に結成された、れっきとした公認政党だ。当時、経済学者らがメルケルのギリシャ支援という名の金融政策に異を唱えたことが、結党のきっかけだった。その後、内部抗争などで主要メンバーが入れ替わり、若い党の常として、現在の党員は玉石混交ではある。ただ、彼らをまるごと極右と呼ぶのは無理だろう。