年収の高い男性のなかには、派手な暮らしぶりを好む人、年収や地位を誇示したがる人、女性遍歴のたえない人がいます。そういった身ぶりのおかげで、彼らの高収入・高ステータスぶりははた目にもわかりやすいものの、そのための経済的・社会的コストは小さくありません。いくら年収が高くても、浪費癖のある男性、浮気性のある男性、鼻高々で他人を見下すこともある男性などは、結婚相手としては最悪です。

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にもかかわらず、派手な暮らしぶりに引き寄せられ、ぬか喜びと失望を繰り返す女性があとを絶ちません。若干年収が低いけれどもつつましい生活をしている男性のほうが結婚相手としてはよほど有望でしょうに、目に留まりやすいところしか見ていない女性には、それがわからないのです。

似たようなことが男性側にも言えます。

古今の統計がこぞって示すところによれば、男性は若い女性に魅力を感じる傾向にあります。若い女性のほうがそうでない女性より妊娠適齢期が長いことを思えば、男性が若い女性を好む背景には、本能的・遺伝的な要因もあるのでしょう。

しかし、若い女性の肌の張りやプロポーションを追いかけたところで、どんな相手でもやがて年を取っていきます。遅かれ早かれパートナーが若くない=魅力がないと思えてしまうのがオチでしょう。そのことを考慮せず、若さだけを基準にパートナーを選びたがるのは、あまりに短絡的といわざるを得ません。

そのうえ、人格形成の真っ最中でアイデンティティも確立していないような若い女性はまだまだ移り気なうえ、社会経験や人生経験が足りていないぶん、一家を支えあうパートナーとしても力不足です。

「お金」「若さ」で異性を見る人は何も見ていない

男性の年収しか見ていない女性も、女性の顔や胸しか見ていない男性も、何も見ていないし、何もわかろうとしていません。一番目立つところ、一番見つめたいところだけを見て、目立たないけれども優れたところや、目配りしておかなければあとで困るところを見ようとしていないのです。

男性の年収や、女性のルックスやプロポーションというのは、ある意味、中学生でも理解できる評価尺度です。それを評価すること自体は、おかしなことではありません。しかし、20代後半とか30代前半とかいった年齢になってもなお、中学生でも理解できる評価尺度だけでしか異性を評価できないのは、異性を見る目が育っていない……もっと言えば、人を見る目が育っていないということにほかなりません。

「大人」の恋愛や結婚の成否を左右する要因はさまざまですが、「人を見る目がどこまで育っているか」が非常に重要だと私は考えています。年収や若々しいルックスばかり見つめるのはやめて、もっと見るべきところに目を向けましょう。