「生きるか死ぬか」というほどの危機感

今年の春闘が従来型の回答方式と大きく異なったのは、自動車産業が危機感に満ちた環境に置かれているからだ。

自動車産業は電動化と自動運転に向けた激しい開発競争に巻き込まれている。その競争には米テスラのような新興電気自動車メーカーやIT企業が新規に加わった。自動車メーカー同士の従来の戦いとは異なり、新技術の行方次第で形勢が大きく変わり得る戦いだ。それだけに世界最大規模のトヨタといえども「生きるか死ぬか」というほどの危機感が募っている。今年のトヨタの春闘では、厳しい環境の中で生き残る「競争力強化のために、解決すべき課題は何なのか」を労使で議論するという方向性が例年に増して、強まった。

「労使協議会」と呼ばれるトヨタの労使交渉は、春闘期間中に4回ある。今年は2月21日の第1回から毎週水曜日に、回答日となる4回目の3月14日まで開かれた。各回1時間半程度、労使で議論する。参加者は会社側が社長以下全役員(部長級の常務理事以上)の約80人、組合側は組合執行部、各職場の委員長など約220人、合計300人の大会議である。

大手企業の場合、春闘の労使交渉に会社側として参加するのは、労務担当役員をトップとした労務・人事部署の幹部や担当者らに限られることが一般的だ。すべての交渉に社長以下全役員が参加するトヨタの交渉スタイルは異例と言っていい。

トヨタの春闘は労使が徹底的に話し合う

トヨタの社長が労使交渉に毎回参加し始めたのは、1962年の「労使宣言」締結以降で中川不器男社長時代から。その後、参加者は徐々に増えて全役員の参加という現在の形になった。

1950年の労働争議とその後の労使覚書調印資料(写真提供=トヨタ自動車)

「労使宣言」が締結されたきっかけは、急激な業績の悪化で1950年に当時の全従業員の25%、1500人を人員整理せざるを得なくなり、労使が厳しく対立したこと。トヨタ自動車の創業者、豊田喜一郎は経営責任を取り、社長を辞任、50年以降はストライキが頻発し、「会社は敵」と労組はみた。労使関係の修復には12年を要し、生産性の向上を通じて、企業の繁栄と労働条件の改善をはかるという労使宣言を締結した。労使の課題は、徹底した話し合いで、自主的・平和的に解決することに終始してきた。

それ以来、トヨタの春闘は労使が徹底的に話し合うことが優先されるようになった。例えば、4回の労組交渉は、1回目が会社を取り巻く経済や競争環境、2回目が会社の競争力の現状、3回目が組合員の努力、がんばりと今後の決意、4回目に回答という段取り。3回目までは賃上げについて金額の議論をするのではなく、現状や今後の課題について労使が意見を述べ合うことを基本にする。

「全体最適の判断ができるマネジメントは少ない」

今年は1回目から「競争力」についての議論がクローズアップされ、人事担当者は「従来のようにテーマを順に議論するというよりも、終始、競争力をどう維持し、強化するかを話し合った。いつもとは様子が変わった」という。

交渉の中では現場の組合員からのこんな提案も出た。「『お客様や車両全体をみて開発せよ』という(会社の)方針を踏まえて提案しても、全体最適の判断ができるマネジメントは少なく、部署、部品ごとの損得勘定で論破される状況がある」と経営層に苦言を呈し、こう締めくくった。「調整業務ではなく『将来に向けた技術開発』のための時間を作り出すべく、トップマネジメントの思い切った判断やプロセス変革をいただき、労使で力を合わせ、時流に先んじる技術を世に出していきたい」