悪口は身を滅ぼす。褒め口の逆で、悪口は伝聞によってどんどん増殖するからだ。言ったときは爽快な気分を味わえるが、まわりまわって自分の立場を危うくするので、結局は得にならない。

したがって、取引先にどうしても直してほしいところがあるときは、決して他人の口を使ってはならない。どんな小さな不満であれ、先方の耳に届くころには、とんでもない悪口に成長しているからだ。面と向かって伝えるほうがましである。

ただし、表現には十分注意しなければならない。お勧めしたいのは、一般論にまぶしてそれとなく相手に理解させるというやり方だ。

「御社はささいなことで当社の営業マンを呼びつけるので迷惑だ。電話をする前に、ほんとうに必要か検討してほしい」

これが伝えたい内容だ。しかし実際には、次のように表現する。

「お客さんのなかには、ささいなことで営業マンを呼びつける会社がある。コストがかかりすぎるので、うちもほとほと困っている」

言外には「もちろん御社だけは別ですが」というニュアンスが込められている。こういうとき、人は誰しも自分を除外して考えるものだ。つまり面と向かって伝えようとしても伝わりにくい。その心理を逆手に取る作戦である。相手はこのとき、別の「お客さん」の話だと思って聞いている。

だが、そのうちに「自分たちも相手に負担をかけすぎているかもしれない」と気づくだろう。察しのいい人なら、これだけで腰を上げるに違いない。

ビジネスの現場では、穏便なやり方では済まない場合もあるだろう。そういうときにはどうするか。芥川龍之介が『侏儒の言葉』のなかで「木に縁よって魚を求むる論法」として次のようなレトリックを紹介している。

たとえば、悲劇として書かれた小説を「幸福、愉快、軽妙等を欠いている」と難じて貶おとしめる。悲劇なのに喜劇の要素が含まれていない、と言って攻撃するのだ。木に魚はならない。つまり、ないものねだりだ。しかも意識してそれをやるのだから詭弁である。

ところが、攻撃された側は冷静ではいられない。一時的にせよ、「そうか、俺の小説はたしかに暗いな……」と落ち込むはずだ。

これも相手の心理を逆手に取ったテクニックだ。劇薬といえる。しかし承知のうえで使うなら、効果的に相手を打ちのめすだろう。