世界初のマルチコプターは日本のキーエンス製

――今後は世界レベルでの統一基準を作ることが重要な課題となります。

鈴木真二・東京大学大学院工学研究科教授、一般社団法人日本UAS産業振興協議会(JUIDA)理事長

そうです。それが次の課題です。飛行機は国を跨いで飛んでいますから、すでにグローバルなルール作りができていますが、ドローンはまだ飛ぶエリアが低空ということで、各国独自での取り組みで国際的なルールがありませんでした。しかし他の国にドローンを持ち込んで飛ばすことや欧州などでは国境をまたいで飛ばすことなども考えられますから、そうした取り組みが必要になってくると思います。日本でもISO(国際標準化機構)のような国際的な組織に業界標準を提案しているところです。

――そもそもドローンはどのようにして生まれてきたのでしょうか。

第2次世界大戦前に英国で標的機として飛行機をリモコンで飛ばす実験が行われ、それが「クイーンズ・ビー(女王バチ)」と呼ばれていました。それを見た米国陸軍の将校が関心をもち、米国でも同じような取り組みをしたいと思ったようです。その後、米国でも標的機として「ターゲット・ドローン(オスバチ)」と呼ばれる無人機が開発されるようになりました。そこから無人機がドローンと呼ばれるようになりました。

ただ米国での開発でも逸話があって、ハリウッドの俳優が趣味で模型飛行機のショップを持っていて、そこにあったラジコン機に陸軍が目をつけてドローンの開発が始まったそうです。これが第2次世界大戦中に1万機ぐらい作られて活用されていました。そして1990年代には米国がGPSで長距離の自動操縦ができるドローンを開発し、偵察機として利用されるようになりました。

――民生用のドローンはどのようにして発展してきたのですか。

もともとは玩具として生まれてきたのではないかといわれています。すでに1980年代にセンサー技術などで有名なキーエンスがマルチコプターのような製品を出し、おもちゃとして販売していました。最近ではそれが市販された世界初のドローンだろうということで世界的に話題となっています。ドローンは、今は半導体センサーでジャイロを動かしているのですが、調べてみると、キーエンスのものはメカニカルな精密加工の部品でつくったジャイロを使っています。今はリチウムイオンやリチウムポリマーの超軽量の電池を使うのですが、当時はまだそれがなかったので重いニッケル電池を使っていました。そのため飛行時間は数分程度なのですが、発想はすごいものだと思います。わたしたちはもっと胸をはって、ドローンの世界をひっぱっていくべきです。

当時、その技術は普及するまでには至りませんでしたが、2010年にフランスのパロット社がおもちゃとして出して、しかもタブレットで簡単に操縦できたので、使いやすいと認識されて、これが普及しました。そしてそれに注目したのが中国のDJI社です。これに性能のいいカメラを装着して空撮できるということで売り出し、大ヒットしました。それに米国の3D Roboticsという会社も活躍しました。そして最近まではDJI社、パロット社、そして米国の3D Roboticsが世界の3強と呼ばれていましたが、昨年パロット社と3D Roboticsが大規模なリストラを行ったので、DJI社が単独トップだといってもいいでしょう。