公正な評価すら個人攻撃となる

また、新上司は厳しいのではないか、不公正なのではないかと思っている部下は、修正フィードバックを個人攻撃とみなすおそれがある。フィードバックが無視されたことに気づいたら、上司はさらに厳しい指示を与えようという気になるかもしれない。かくして、上司に対するその部下の否定的な見方が裏づけられることになる。

要するに、上司が優秀な部下に並以下のパフォーマンスをさせることがあるように、部下が優秀な上司に理不尽な行動をとらせることもあるわけだ。レッテル貼りのプロセスの引き金を引くのがどちらであっても、すぐに双方向に作用し、悪循環を生み出す可能性が高い。

部下との関係が形づくられる間にきちんと接触を持てば、上司は自分の優先事項や業績評価基準を部下に伝えることができる。上司が部下と人間としての関係を築いたら、部下は安心して問題を報告したり助けを求めたりできる。パフォーマンスが自分自身の期待や上司の期待に及ばなくても、人として敬意をもって遇してもらえるとわかるからだ。

また、特定の部下について、あるレッテルが繰り返し頭に浮かんでくる場合には、リーダーは自分の当初の観察を裏づけるように情報を処理してしまう性向と戦わなければいけない。とりわけパフォーマンスが劣っているとされる部下の行動や結果を理解しようとする場合には、状況要因を正当に斟酌する必要がある。

関係を順調にいかせるためには、問題だと感じたことはただちに対処する必要がある。早いうちに伝えられる修正フィードバックは通常の適応プロセスの一環として受け入れられることがある。時間が経ってから問題点を指摘することは、それに伴う不安と困惑を掻き立てるだけで、フィードバックに処罰的な意味合いを与え、部下が建設的に対応する公算を小さくする。

データと解釈の両方についてその部下と話し合うことだ。事実を確かめる努力をすれば、上司はその部下の行為や動機を誤って理解していたうえに、斟酌すべき事情を見落としていたことに気づくことが多い。部下に上司の思い込みを正す機会を与えることは、信用を築くのに大いに役立つ。それは部下に、公正に評価してもらえるという自信も与えるのだ。

(翻訳=ディプロマット)