私は「希望の党には行かない」と伝えた

【塩田】総選挙の公示日の10月10日まで、時間が切迫していたのでは。

【福山】公示日まで2週間もなかったので、連日、枝野さん、長妻昭さん(立憲民主党代表代行兼政調会長)、辻元清美さん(立憲民主党国対委員長)と話をして、まず民進党で出る可能性はないかどうか探りましたが、前原さんを通じて、それはないと言われた。そうすると、新党しかないわけです。お金もない、候補者がどの程度くるかも分からない、どういう構図の選挙になるかも分からないという状況で、枝野さんも随分、悩まれた。

私は15年の9月19日、安保法制の強行採決の後、小雨のなか深夜まで数千人もの人たちが国会の前に集まって安保法制反対の声を上げている前で、「立憲主義、民主主義を取り戻す闘いをここからスタートさせる」と言った。それから2年が経過して、将来的に「希望の党に行け」と言われても、「安保法制に賛同しろ」と言う党には行けないことは自明だった。私は「希望の党には行かない」と言い、枝野さんと2人でずっと話をしました。

10月1日の夜中の12時前後に、どうしようかということになった。新党の届け出、選挙の準備、候補者の確認、金の用意などを考えると、公示日から逆算して2日までに決めないと物理的に間に合わない。1日の夜中にぎりぎりのところで、まず枝野さん、長妻さん、辻元さんと話し合い、その後で枝野さんと2人で議員会館とは別の場所で話をした。

「枝野さんは無所属で出ても勝つでしょう。でも、選挙区を追われそうになっている候補者の『枝野、立て』という悲鳴に応えなければ、政治家として難しい局面が出てくるのでは」と申し上げた。「本当にこの数時間です」と言ったら、枝野さんは「相談したい人がいるし、少しゆっくり考えたいから、一晩待ってくれ」と言った。

「やる」と言われたとき、ポスターなどに使うロゴが間に合わないので、私は午前3時か4時に、知り合いを通じてデザイナーに発注した。党名が決まっていないので、民主党、立憲民主党、新民主党などの候補名を投げて、午前中にロゴを、と勝手にお願いをした。

次の日の朝8時過ぎに枝野さんに会った。「やろう」「やらなければ」と言った。「相談した人はどうだったんですか」と尋ねたら、「みんなに反対された」と言っていましたが、相談したのはその前で、その晩は相談していなかったみたいです。