(2)は、被災後すぐ、被害が軽微だった岩手川崎店や北古川店を2011年3月24日と4月14日に再開。自宅やクルマが流されたクルーを岩手川崎店に配置して仕事を分担した。「地元では働かないで食べていける人はいない。すぐに仕事をつくろう」との思いだった。

(3)では、投資会社ミュージックセキュリティーズが設立した「被災地応援ファンド」にも参加した。これが世間の評判を呼び、アンカーコーヒーは2450万円の目標額を達成した。集まった基金は、焙煎機や製菓の機械、内装費に充てた。さらに政府系の中小機構(中小企業基盤整備機構)の支援を受けながら、被災店の再開や新店オープンも進めた。

「ファンドに出資してくれた方が店に来られ、『再開できてよかったですね』と話されたこともあります。震災後は、本当に新たな人との縁がたくさんできました」(同)

来店客は「革靴から長靴まで」

震災前から気仙沼で渉外活動をしていた小野寺氏は、震災後、市長の主導で始まった「気仙沼市災害復興市民委員会」のサブリーダーを務めた。まだ40代前半だが、現在も気仙沼国際交流協会会長など公職は多い。こうした活動で知り合った著名人やキーパーソンと「気仙沼ならでは」の意見を交換し、観光地としての魅力づくりにも取り組む。

カフェの運営でも研鑽を続け、新装した本店には焙煎所を設置。良質なコーヒー豆を追求するほか、人材教育を通じて、店の商品力や接客力を高める。

たとえば社内の“バリスタテスト”に合格できなければ、店でコーヒーを出すことはできない。アルバイトの従業員もいるがテストの基準は社員と同じだ。その背景には「従業員の成長が店の成長につながり、お客さんへの居心地のよさにつながる」という思いがある。店舗業務で成長すれば、WEB広告の仕事を任せるなど、自己実現もサポートする。

一方で、宮城県や岩手県といった地方店ならではのこだわりがある。

「1号店をつくった時から思いは変わりませんが、革靴から長靴まで、高級車から軽トラックまで。地方の店に来られる客層はさまざまです。変に格好つけるのではなく、生活の一部としてのカフェでありたい。週に3回アルコールを出す店もありますし、ランチ需要のメニューもある。地域の食堂としての役割など、カフェは何にでもなれますから」

コーヒー文化を紹介しつつ、地元客に寄り添う。ラグビーで鍛えた大柄な身体で東奔西走する姿は、“気仙沼の未来”というボールも運んでいるようだ。

高井 尚之 (たかい・なおゆき)
経済ジャーナリスト・経営コンサルタント
1962年名古屋市生まれ。日本実業出版社の編集者、花王情報作成部・企画ライターを経て2004年から現職。「現象の裏にある本質を描く」をモットーに、「企業経営」「ビジネス現場とヒト」をテーマにした企画・執筆多数。近著に『20年続く人気カフェづくりの本』(プレジデント社)がある。
【関連記事】
2018年に来る「コーヒー第4の波」の正体
「日本ベスト6」のうち3人がいるカフェ
なぜ東京移転せず「茨城愛」を貫くのか?
スタバより強い「最下位・茨城」のカフェ
なぜ"蔦屋書店"には必ずカフェがあるのか