実は小野寺氏は「3.11」を体験していない。当日の朝、輸出入の仕事でローマに飛び、発生時は機中にいたからだ。現地についてから故郷の大惨事を知り、言葉を失う。

被災した店舗(オノデラコーポレーション提供)

2つの店と焙煎工房、さらに自宅を津波で流されていた。

だが幸い、家族や店舗スタッフに人的被害はなかった。それをメールで確認すると現地から取引先と連絡をとり、店再開への道を探る。メールが使えたのが不幸中の幸いで、ある程度の被災状況も把握できた。輸出入の仕事を終えた約10日後に帰国する。無我夢中だったためか、正確な帰国日を覚えていないそうだ。

筆者は翌2012年2月に現地を取材した。小野寺氏に建物を案内してもらうと、民家を改造したプレミアム店の外観は残っているが内部はガレキ状態。2階にはソファが放置されたままで、雰囲気のある店内が寂しげだったことを覚えている。

「この地より再び船出」で奮闘した

津波の被害は甚大だったが、現在店舗数は10にまで拡大している。震災前は5店舗だったから倍増しているのだ。なぜ躍進できたのか。筆者は3つの理由を考えている。

(1)もともと人気店だった
(2)「地元への愛」で奮闘し続けた
(3)動き続けた中で「人脈」と「支援」を得た

アンカーコーヒー仮設店舗。左下の壁にメッセージが記されている(オノデラコーポレーション提供)

(1)は、仮設店舗で2011年12月に再開して40日後の「アンカーコーヒー田中前店」を取材した時に痛感した。2月の雪が残る平日午後にも関わらず、店内はほぼ満席だった。週末には行列もでき、当時で1日200杯以上コーヒーが出た。店の入り口にはロゴマークとともに「この地より再び船出する」と掲げられており、小野寺氏はこう話した。

「お客さまは観光客の方も来られますが、ふだんは地元の方がほとんどです。この店は知り合いで成り立っているんだな、と改めて思いました」