2010年に平昌五輪が開催されていたら……

国外的にはどうか。平昌五輪が「平壌五輪」と揶揄されるほど、競技の行方よりも南北関係、特に北の動向の一挙手一投足が注視される展開になっているのは前代未聞の冬季五輪だ。

そもそも、2016年からの北による度重なる対米挑発で東アジアの激動の時期に、韓国で五輪があったのは単純に偶然である。平昌は10年の冬季五輪の開催都市に名乗りを上げ、国ぐるみでの盛んな招致合戦を行ってきた。03年、IOC総会での選考投票では第1回投票で平昌が1位となったが、決選投票ではバンクーバー(カナダ)に僅差で逆転された。14年冬季五輪の招致でも同じことが起こり、決選投票でソチ(ロシア)に敗れた。

平昌五輪開催は「三度目の正直」の結実だったが、もし歴史が違って10年に平昌五輪が開催されていたら、北は金正日政権の末期で、南北情勢は違うものになっていたはずだ。

一喜一憂を誘うことこそ北朝鮮外交の真骨頂

平昌五輪がこのタイミングで開催され「政治五輪」の様相を呈しているのは、歴史の偶然が積み重なったものであり、よく言えば「対話」に向けた「グッドタイミング」、悪く言えば極東情勢が過熱する中で行われた五輪として、五輪の精神が蔑ろにされている「バッドタイミング」であったといえる。

北朝鮮は平昌五輪に合わせて、事実上金正恩の代理人であり彼の妹の金与正を韓国に送り込み、韓国・文大統領と会談した。事実上の最高指導者同士の会談であると評せざるをえない。この時点で平昌五輪で北の選手がメダルを取ろうと取るまいと、北朝鮮の外交としては「大勝利」とみるべきである。すでに述べたような韓国の現左派政権時代において冬季五輪が開催されたのは全くの偶然だが、北の老獪さは流石、権謀術数で中ソ対立の中を巧みに生き残ってきた小国の知恵であると「敵ながらあっぱれ」と論評する。

平昌五輪での南北融和によって、日本では「日米韓」の三国対北包囲網が崩れるのか崩れないのかで右往左往しているが、こうした一喜一憂を誘うことこそ北朝鮮外交の真骨頂である。88年に韓国でアジア2回目となるソウル夏季五輪が開催されたとき、北朝鮮は対南工作の一環として大韓航空機爆破事件、ラングーン事件(全斗煥爆殺未遂)を起こして武力対立の姿勢を鮮明にした。30年経って、もはや南北はそのような時代ではない。が、このまま韓国が北朝鮮に吸収されるのではないか、などの日本国内の一部の危機感は、テレビ報道だけで南北の抱擁を観ているからそう思うだけで、実際には何の根拠もない。

北朝鮮はここ十数年、韓国の政権の保守・リベラル(韓国では進歩派という)に対応して強硬と融和の姿勢を、まるで振り子のようにいったりきたりと使い分けており、現在もたんなるその一種であり、それ以上でもそれ以下でもない。