「抑鬱症状」までも味方につける

父親に認められたいという渇望やある種の誇大妄想にみられるチャーチルの精神構造は、「忙しく働いていること」を必要としていた。精神的に、彼は怠けることができなかったのである。チャーチルの抑鬱症状、あるいは彼が「黒い犬」と呼んだものについては多くのことが語られてきた。ちょっとそのことが過大視されているという向きもある。

Boris Johnson著『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)

とはいえ、1930年代、公務から外れていたチャーチルはたしかに多少抑鬱状態にあった。しかし彼は大体においていわゆる「創造的循環」にうまく適応していた。すなわち、抑鬱状態→精力的活動→創造的活動→アルコールの力による高揚→抑鬱状態のサイクルを、誰よりも速く回転させ、膨大なアウトプットを生んだ。その姿はある意味で18世紀におけるイギリス文壇の大御所、サミュエル・ジョンソンにそっくりだった。自らを鞭打って前進させながら、自身に巨大な要求を突きつけたという意味において。彼はその心境をこう語っている。「私は今日は何も有用なことをしなかったと思いながら床に就くことがいやなのだ。歯を磨かずにベッドに入ってしまったような感じがする」。

チャーチルの態度には古風なところがあった。栄光と称賛に対する欲望と不名誉に対する恐れに駆られていたのである。しかしこの二面的な感情のなかには、キリスト教的な罪の意識が多分にあった。彼を突き動かす燃料が何から構成されていたにせよ、チャーチルのエンジンは政府の複雑な任務を遂行するためには完璧だった。彼は官僚組織の戦士であり、時には異常なほど詳細にこだわる人間だった。

財務省に在籍していたときには外務省の電報のコストのような細かいことに熱心に取り組んだ。1939年、海軍省に戻ったときには、個々の戦艦に支給されたフード付き防寒コートの数を調べ上げた。海軍の戦艦ではトランプでなくバックギャモンで遊ぶようにと決まって命令した。

強靭な「事実掌握力」が困難な決断を可能にした

こうした疲れを知らないチャーチルのエネルギーは、1940年以降、欠くことのできないものとなっていた。彼は国の運命を選択していたのだ。カリスマ性と人格だけを頼りに、彼はイギリスが戦い続けなければならないと決断していた。といっても国民がそれでついてくるわけではない。国全体を自分の望む方向に引っ張らなくてはならなかった。滑走路上のジャンボジェットを牽引する力持ち、超大型タンカーの向きを変えようとするタグボート、そんな存在だった。ある側近がこう語っている。「沸き立つアイデア、提案を押し通す執念深さ、司令官たちへの鼓舞激励――これらは彼の燃え上がる爆発的なエネルギーの現れだった。それがなければ、軍のみならず文民も含めた巨大な戦争遂行機構を着実に前進させることも、あるいは度重なる挫折や困難を避けて通ることもできなかっただろう」。

チャーチルは自分が吸収した大量のデータを処理し、詳細を把握するのを助ける工場を必要とした。言うまでもなくそれが彼をして大きな絵を描ける人物になることを可能にしたのである。長く、みじめな戦争に国が滑り落ちていったとき、彼があれほど強靭だったのは、この男が事実を掌握していたからだ。彼はドイツについての現実を知っていたのであり、ナチスが世界にもたらした脅威を直感的に理解していた。

ボリス・ジョンソン
イギリス外務大臣、英連邦大臣
1964年生まれ。イートン校、オックスフォード大学ベリオール・カレッジを卒業。1987年よりデイリー・テレグラフ紙記者、1994年からスペクテイター誌の政治コラムニストとして執筆、1999年より同誌の編集に携わる。2001~2008年、イギリス議会下院議員(保守党)。2005年、影の内閣の高等教育大臣に就任。2008年から2016年5月まで2期にわたってロンドン市長を務める。2015年、再び下院議員として選出される。2016年より現職。本書のほかに、The Spirit of London, Have I Got Views for You, The Dream of Romeなど著書多数。
(写真=iStock.com)
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