いくら戸籍は経路依存的な制度(以前のものを使っていく制度)だといっても、必要性がなく、むしろ弊害の方が大きい情報の記載までを何故残しておくのか。この議論が進まないのは国会議員が、戸籍実務や差別問題について十分な認識、見識を有していないからだと思っています。

こんなに使い勝手が悪く、差別問題の根幹でもある現戸籍制度が何故必要なのでしょうか?

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今の夫婦別姓をはじめとする氏や戸籍の議論は、国民の管理ツールにどこまで家族の一体感というような情緒的なものを加えるのか、というところが結論を分ける分水嶺になっているのだと思います。

今、戸籍が必要となるのは、身分証明と相続関係証明においてが主です。それをやるために必要な国民の管理ツールは、どのようなものが最も効率的かと考えるのが僕の思考です。

ナンバリング(国民に番号を割り振る)と現住所があれば、個人を証明するために出生地や本籍地の情報は不要です。婚姻事実や続柄(親子関係)も、ナンバリングシステムに組み込めば十分です。

他方、現戸籍こそが差別問題の根幹であるという厳然たる事実を見逃すわけにはいきません。現戸籍のマイナス面は著しいのです。僕も大阪市役所の職員に無断で戸籍をのぞき見されました。

個人のナンバリングに現住所や婚姻事実・続柄情報を加えるような新たな管理システムは、マイナンバーシステムを使えば簡単にできます。そしてICTをフル活用することによって、以後相続関係証明等が爆発的に簡単にできるようになります。

僕の単独戸籍制への移行という考えは、現戸籍制度を抜本的に見直すことが究極的な目標ですが、そこにいきなり行かないなら、まずは現在の戸籍を家族単位から個人の単独戸籍に変更することから始めたらいいというものです。そのことで、現戸籍の不要な情報や不都合性が様々明らかになってくると思います。

家族単位というところから解放されると、これって単なる個人のナンバリングだよね、という話になるでしょう。

今は管理ツールに、夫婦や家族の一体性という情緒的な話がひっついてきているので、ややこしくなっています。

戸籍とは管理ツールに過ぎない。管理ツールなら、情緒的なものは一切廃し、効率化を徹底して図る。これが僕の持論です。

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