有言実行でないと、経営はできない

1956年10月、福岡県北野町(現・久留米市)に生まれる。実家は代々、自作農で、両親と姉、兄の5人家族。家は田んぼのど真ん中にあり、1キロ以内には商店もないという田園育ち。中学、高校は鹿児島市のラ・サール学園、大学は東大法学部で、ずっと寮や下宿で暮らした。

就職は、先輩がたくさんいた九州電力を選ぶ。大学に入るために初めての東京にきたころ、休日に新宿へいくと、すごい賑わいだった。友人たちに「新宿はお祭りだった」と言うと、「休日で混んでいただけさ」と笑われ、以来、人が多い東京に馴染めなかった。

80年4月に入社。北九州市・小倉へ配属され、不払いの電気代を集金する仕事などを、約2年やった。1人で軽四輪車に乗り、ヘルメットをかぶり、腰にペンチを下げて回る。払ってもらえないと、電気を止めた。その筋の人間も多い地域で、自分なりに考えた理屈で支払いを促すと「ええ度胸しとんな、うちにこないか」と言われたこともある。衝撃的な仕事で、八方塞がりにみえる状況でも「何とかなるさ」と肯定的に考えるのは、このとき始まったようだ。

九電には約7年半いて、88年1月に東洋紡績(現・東洋紡)へ転じた。小倉勤務の後、福岡市の本社人事部へ異動したが、役所のような堅苦しさが合わなかった。以来、ジャカルタ勤務を除き、管理部で主として決算を担当し、冒頭の会計ビッグバンに遭遇する。

2014年4月、社長に就任。翌年の社内報新年号で、全社員に呼びかけた。「時代性を失った事業を構造改革しながら、限られた資源のなかでスペシャルティ事業を拡大するという、長く厳しい二正面作戦の時代に、08年にようやく区切りをつけた。いまや新たな成長のステージに立っている。挑戦的に取り組んでほしい」

本社には、歴代社長の肖像画の前に、渋澤栄一氏の大きな肖像画がある。渋澤氏は多くの会社や団体を設立し、1914年には相談役を務めていた2社を合併させ、東洋紡績を誕生させた。生みの親は、『論語』にある「順理則裕」(理に順えば則ち裕なり)を揮毫し、東洋紡に贈った。実はもう1つ、「敬事而信」(事を敬して信あり)の言葉も残した。何事も、自らの仕事を敬わなければならないとの意味で、敬に徹して事をやれば、人は自然にあなたを信用すると、意味深い。社長になって辞典を調べると、「言ったことをやり遂げる」との意味もあった。

いまの時代、有言実行でないと経営はできない、と頷く。社員たちに発信し、元気づけ、世の中に役に立つ事業をもっとつくる。そうすれば働きがいがあり、社員も豊かになる。それが、組織の長の役割だろう。そんな思いで、今度は「絶薪去火」とは逆に、熱くたぎる組織を目指し、火を燃え上がらせる薪を投げ込む番だ。

東洋紡 社長 楢原誠慈(ならはら・せいじ)
1956年、福岡県生まれ。80年東京大学法学部卒業後、九州電力入社。88年東洋紡績(現・東洋紡)入社。2006年財務経理部長、09年財務部長、10年経営企画室長、11年取締役。14年4月より現職。
 
(書き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)
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