『この世界の片隅に』が成し遂げたリアリズム

『この世界の片隅に』の監督、片渕須直は、かつてスタジオジブリの『魔女の宅急便』(1989年)で監督を務めることになっていました。『魔女の宅急便』については、宮崎駿が監督になったため、演出補として参加しています。

36歳の時にテレビアニメ『名犬ラッシー』(1996年)、41歳の時に映画『アリーテ姫』(2001年)を作っており、アニメ監督しては遅咲きでしょう。彼は日本大学芸術学部でアニメーションを専攻し、特別講義が縁で宮崎駿と仕事をするようになりました。

僕が見るに、片渕須直は青春期の才能のすべてを宮崎駿とスタジオジブリに吸い取られた不遇の作家ですね。彼が監督した『名犬ラッシー』は、世界名作劇場で唯一打ち切りになってしまった作品ですが、当時、僕は娘といっしょに観ていて「うまいなー」と感心していましたから。

片渕監督は、『この世界の片隅に』の主人公すずが実在していることを観客に信じさせるため、徹底的なリアリズムを追求しました。広島にしても、呉にしても、当時の町並みは爆撃によってなくなってしまったわけですよ。今はもうない、もう見ることができない街を、あらゆる資料を調べ尽くして存在させた。そうして出来上がった映像は、その時代にタイムスリップして見てきたとしか思えない! 「すずがこの欄干を触ったかもしれない」「すずがこの商店街を歩いたかもしれない」と思えてくるんですよ。

ジブリ映画でも、かまどの火の起こし方やご飯の炊き方を緻密に描写しているんですが、『この世界の片隅に』とはやり方がだいぶ違います。なぜかというと、ジブリの手法は、風呂のたき方にしても「ほらほら手作りですごいでしょ」と教える描き方なんですよ。「昔はこうだったんだよ」と伝えるリアリティについて言えば、『この世界の片隅に』に分があります。

従来の日本アニメとは「動き」が違う

アニメーションの見せ方としても、『この世界の片隅に』では、ユニークな手法が使われています。

日本のアニメは、キャラクターが大きな動きをする時、「中抜き」することが一般的です。本来であれば、動画を1コマ1コマ埋めるべきところをわざと抜く。人間の脳は抜かれたコマを補完して、途中の動きも描かれているかのように認識する。たとえば、『もののけ姫』のサンとエボシ御前が戦うシーンでも、エボシ御前が刃物を抜いてサッと振る時、振っている途中の腕は描かず、刃物の軌跡だけが空中に描かれています。

中抜きによってスピーディでカッコいい動きを作り上げてきたのが日本のアニメなんですが、『この世界の片隅に』では、ものすごく細かな動きをたくさん入れているんですね。

映画冒頭、すずが行李(こうり)という大きい荷物を担ぐシーンがありますが、ものすごくゆっくりした動きなのに、すごくリアルに動いて見えるし、動きもかわいらしいんですよ。これまでの日本のアニメでは、箸を手に取るシーンがあったら、箸に手を触れた次の瞬間にはもう箸を正しく持っています。僕たちはそういう動きを当たり前だと思っていました。