なぜ高校の首席は億万長者になれないのか

ボストン・カレッジの研究者であるカレン・アーノルドは、1980年代、90年代にイリノイ州の高校を首席で卒業した81人のその後を追跡調査した。彼らの95%が大学に進学し、学部での成績平均はGPA3.6で(3.5以上は非常に優秀とされ、2.5が平均、2以下は標準以下)、さらに60%が1994年までに大学院の学位を取得。高校で学業優秀だった者が大学でも成績良好なことは想像に難くない。その90%が専門的キャリアを積み、40%が弁護士、医師、エンジニアなど、社会的評価の高い専門職に就いた。彼らは堅実で信頼され、社会への順応性も高く、多くの者が総じて恵まれた暮らしをしていた。

しかし彼らのなかに、世界を変革したり、動かしたり、あるいは世界中の人びとに感銘を与えるまでになる者が何人いただろう? 答えはゼロのようだ。アーノルドの見解は次の通り。

「首席たちの多くは仕事で順調に業績を重ねるが、彼らの圧倒的多数は、それぞれの職能分野を第1線で率いるほうではない」

「優等生たちは、先見の明をもってシステムを変革するというより、むしろシステム内におさまるタイプだ」

この81人がたまたま第1線に立たなかったわけではない。調査によれば、学校で優秀な成績をおさめる資質そのものが、一般社会でホームランヒッターになる資質と相反するのだという。

「勤勉だっただけで、賢い子はほかにいた」

では、高校でのナンバーワンがめったに実社会でのナンバーワンにならないのはなぜか? 理由は2つある。

第1に、学校とは、言われたことをきちんとする能力に報いる場所だからだ。学力と知的能力の相関関係は必ずしも高くない(IQの測定には、全国的な統一テストのほうが向いている)。学校での成績は、むしろ自己規律、真面目さ、従順さを示すのに最適な指標である。

アーノルドはインタビューで、「学校は基本的に、規則に従い、システムに順応していこうとする者に報奨を与える」と語った。81人の首席たちの多くも、自分はクラスで1番勤勉だっただけで、1番賢い子はほかにいたと認めている。また、良い成績を取るには、深く理解することより、教師が求める答えを出すことのほうが大事だと言う者もいた。首席だった被験者の大半は、学ぶことではなく、良い点を取ることを自分の仕事と考える「出世第1主義者」に分類される。

大学での成績とその後の人生での成功は関係がない

第2の理由は、すべての科目で良い点を取るゼネラリストに報いる学校のカリキュラムにある。学生の情熱や専門的知識はあまり評価しない。ところが、実社会ではその逆だ。高校で首席を務めた被験者たちについてアーノルドはこう語る。

「彼らは仕事でも私生活でも万事そつなくこなすが、一つの領域に全身全霊で打ち込むほうではないので、特定分野で抜きんでることは難しい」

どんなに数学が好きでも、優等生になりたければ、歴史でもAを取るために数学の勉強を切りあげなければならない。専門知識を磨くには残念な仕組みだ。だがひと度社会に出れば、大多数の者は、特定分野でのスキルが高く評価され、ほかの分野での能力はあまり問われないという仕事に就くのだ。

皮肉なことに、アーノルドは、純粋に学ぶことが好きな学生は学校で苦労するという事実を見いだした。情熱を注ぎたい対象があり、その分野に精通することに関心がある彼らにとって、学校というシステムは息が詰まる。その点、首席たちは徹底的に実用本位だ。彼らはただ規則に従い、専門的知識や深い理解よりひたすらAを取ることを重んじる。

学校には明確なルールがあるが、人生となるとそうでもない。だから定められた道筋がない社会に出ると、優等生たちはしばしば勢いを失う。ハーバード大学のショーン・エイカーの研究でも、大学での成績とその後の人生での成功は関係がないことが裏づけられた。700人以上のアメリカの富豪の大学時代のGPAはなんと「中の上」程度の2.9だった。