「親の恩義に報いたい」人が疲弊していく6つのこと

現在、国は「地域包括ケアシステムの構築」を進めている。これは「重度な要介護状態となっても住み慣れた地域で自分らしい暮らしを人生の最後まで続ける」ことを目指すものだ。国民の多くは「自宅」で最後を迎えたいと考えており、そうした願いをかなえるものだといえる。

*写真はイメージです。(写真=iStock.com/real444)

しかし、一方で、国は社会保障費の抑制を進めようとしている。この新しいシステムは、「国にはお金がないから、後は家族でよろしくね!」というものだともいえる。介護に疲れ果てた私はため息をつく。介護者の視点が抜け落ちていると、思うからだ。

まとめるならば、「親の恩義に報いたい」と頑張るキーパーソンは、次の6つのことで疲弊していく。

1 いつまで頑張れば良いのかの期間がわからない
2 兄弟姉妹がいた場合、役割分担がうまくいかずに不平等感に苛まれる
3 失禁、おむつ替え、移乗、通院付き添いなどの時間的・肉体的負担が重すぎる
4 親の妄想、暴言、繰り言、自分の睡眠不足によりメンタルがおかしくなる
5 扶養にかかる費用、介護離職に伴う損失、時間的制約に伴う家事の外注(自分の家族の食事の用意ができずにお総菜に頼るなど)、交通費などの金銭面の負担増加のあれこれ
6 文句は言われるが、誰からも感謝されずに、孤独に落ち込む

▼「人間には『親を看る』というDNAがないのよ」

特にウチの母は「娘なんだから、面倒を看るのは当たり前」「仕事よりも親のほうが大切。仕事を辞めて介護するべき」「今まで育ててあげた恩を返すのは当然」という姿勢を最期まで崩さず、私はどんどん疲弊していった。

「頼むから、死んでくれ(=もう私を解放して!)」。そんな自分の心の声に罪悪感を持っていたのだが、あるとき“救世主”が舞い降りた。知人のサイエンスライターに「同じような用事でも、わが子のそれは比較的、軽快にできるのに、母の用事だと一気にやる気が失せるのはどうしてなんですかね」と聞いたところ、こんな答えが返ってきたのだ。

「それはね、りんこさん、人間には親をみるというDNAがないからよ。あらゆる生命体には子の面倒はみても、親の老後をみるという遺伝子がプログラミングされてない。日本人はちょっと前まで、末子が15歳になるかならないかくらいで、みんな死んでいたのよ。親の用事をやってあげようかって思っても、その親は自らが用事を果たせなくなった段階で全員が死んでいったってこと。子どもがやる必要もなかったのよね」