「平衡論」と「速度論」では議論がかみ合わない

自然科学の世界では、「平衡論」と「速度論」という言い方をします。

例えば私が教えていた「熱力学」の例で説明しましょう。真水がコップに入っていて、そこに食塩をひとつかみ放り込んだとします。理論的にはいずれ全体が混ざって均一な食塩水になります。それが平衡状態で、平衡状態を議論するのが「平衡論」です。

ただ実際には、平衡状態に達するまでに時間がかかります。場所によって、塩分が濃いところとそうでないところができます。よくかき回し、時間を待たないと、均一な食塩水になりません。また、均一になる前にもうひとつかみの食塩を入れたら、さらに不均一が増します。われわれが目にする現象のほとんどは平衡状態にはありません。これが「速度論」です。

もう1つ例を出しましょう。平衡論では、富士山の頂上でボールを蹴っ飛ばすと、地平線まで転がります。ただ実際はもちろん、途中で岩や木に引っかかったりするので、下まで転がることはまずありません。速度論、つまり現実の世界では、途中で発生するさまざまな不確定の条件が加わります。

平衡論の中で論じられる自由貿易市場は、適正な競争によって価格が媒介となり、最適な資源の配分が行われます。ただ、これは非常に単純化された1つのモデルの中の話。そこで行われる「自由経済、自由貿易が最善である」という議論は、現実社会では成立しません。実際は、大量なヒト、モノ、カネ、情報が高速で移動するし、国による税制の違いなどもある。不確定で複雑な条件が影響する、速度論の世界です。

アメリカでは、外国から労働者が入ってきて安い賃金で働いてくれるので、経済全体としては潤っているところもあるかもしれませんが、一方で、安い賃金で働く外国人労働者に職を奪われてしまっている人もいる。いったんここで外国人労働者の流入を止め、数年から数十年くらい待てば、労働市場の中で最適配分が起こるかもしれませんが、そうなるまで誰も待てません。現実には最適配分が達成されるまでに、また次の流入が起こったり、産業構造が変化したりと、状況がどんどん変わってしまいます。

平衡論の中では、自由経済は素晴らしいかもしれませんが、速度論の中ではそうなっていない。それなのに、政策を議論するときに、多くの人が、保護主義は悪で、自由経済が善であることを前提にしているように見えてなりません。しかし、現実の社会の中で、それが証明されているわけではないはずです。

現実では、美しい理念もひずみを生む

先日、ある会議で、スウェーデンの方たちと話す機会がありました。スウェーデンは非常に長い期間をかけて少子化を克服し、人口がだいたい安定的に推移するようになっていました。それが2010年代に入り、移民・難民が大幅に増加して、人口が年間1%近いペースで増えています。人口の1%というと、日本に当てはめると年間約100万人にあたります。

これほどの人口が国境を越えて移動するというのは、これまでの国家の前提にはありませんでした。移動が自由なのであれば、スウェーデンのように教育や医療の水準が高く、かつ無料で享受できる国に、行こうとする人が増えるのは当たりまえです。一方でスウェーデン国民の間では、移民への支援によって国家財政が圧迫され、国全体の福祉が削減されるのではないかと懸念を抱く声が高まっていて、反移民を掲げる政党が議席を伸ばしてきています。

スウェーデンでは、すでに所得税の最高税率は60%を超えていますが、こうした状況の中で医療費の負担が上がっています。先日お話ししたスウェーデン人は、税率アップについて70%までは合意できるだろうと言っていました。しかし、税率を70%まで上げたとしても、現状の健康保険制度を維持するのは難しいだろうとも話していました。