出直し選挙も考えた教育委員会とのガチンコ勝負

雰囲気を変えるということは、組織メンバーや組織に関わる者全員の強烈な意識改革を断行するということだ。そして雰囲気を変えるためには、ほんの少しでも昔の雰囲気を引きずってはならない。完全なる作り直しが必要だ。

だから雰囲気を変えるまでは新しいメンバーは入れない。新しい活動はやらない。完全に雰囲気が変わってから組織活動を再開する。

教育委員会が入試中止は無理だと言うので、最後は伝家の宝刀を抜いた。ここは教育委員会制度の盲点で、僕は法律家だったのでそこに気付いていた。それは予算執行権というものだ。入試をやるかどうかは教育委員会が決定権を持っているけど、それに予算をつけるかどうかは僕の権限だ。ゆえに僕はこの予算執行権を振りかざし、たとえ教育委員会が入試をやると決めても、市長として金はびた一文出さないと僕は宣言した。

これにも批判の嵐が巻き起こったね。教育委員会制度の破壊だ、と。

結局教育委員会で最終的に多数決を採ったところ、「スポーツ科の入試中止」が決定した。ここはまさにガチンコ。当時は前任の市長が選任した教育委員がまだ残っていたので、僕の方針は否定されると思われていた。文科省も、入試は実行されるだろうと思っていたらしい。

実はね、僕は教育委員会が入試をそのままやるという決定を出したら、市長を辞任し出直し市長選挙をやってやるつもりだった。松井一郎大阪府知事と、当時日本維新の会でタッグを組んでいた石原慎太郎さんにだけそのことを伝えたら、びっくりされたよ。松井さんは僕の性格を知っているから、仕方がないな、と。石原さんは最後まで出直し市長選挙は止めた方がいいんじゃないか、とアドバイスをくれていた。出直し市長選挙のことはこの2人にしか話していなかったので、そのこと自体は騒ぎにならなかったけど、教育委員会の採決のときは、大勝負だったね。